茅ヶ崎市のコミュニティセンターで泣いてしまったはなし

都会の子供

わたしと同い歳のお母さん

そのお母さんはわたしと同じ歳。42歳。

現在16歳(高校1年)になる息子がいる。

彼女の息子は小学生の頃、喘息持ちだった。

少し変わった子どもだったので、担任のおばちゃん先生に目を付けられ、イジメられた。先生が生徒をイジメたら生徒たちも右ならえ。

「そうか、あいつ変わってるから、やっぱりおかしいんだ!仲間はずれにしていいんだ!」

ある日、息子の身体に帯状疱疹が出たので病院に連れて行ったところ、医者に言われたそうな。

「お母さん、帯状疱疹を出すのはよっぽどですよ。学校で相当ストレスを溜めています。環境を変えることを考えたほうがいいですよ。」

自分の息子がそんな弱いことじゃ困る!と思っていた彼女がここで決断する。

仕事をすべて手放して、子どもを第一優先にして生きよう。
母親として出来る限りのことをしよう。
せめて息子が高校を卒業するまで。

横浜から瀬戸内の島の学校へ

ネットで調べて、瀬戸内海のとある島の小学校がオープンスクールを実施していることを知る。

市街地の港からフェリーで20分の島の小学校まで、市内の(都会の)子どもたちが通える制度。

彼女の実家が市内にあったこともあり、すぐに申し込み。
息子を連れて、早速、体験入学へ。

体験入学初日。

フェリーに乗り込むと、島の小学校に通う子どもたちが、すぐに彼女の息子に気付いて取り囲み、一斉に話しかけてくる。

「ねえねえ、体験入学で来たの?」

「こっちの席に座るといいよ!」

この年、オープンスクール制度を始めてすでに4年目だったので、子どもたちも慣れたもの。
新入りを迎えるやり方を心得ていた。

小学校存続の危機と島の過疎化

島の学校に通いだしてすぐに喘息も治り、学校にも楽しく通う毎日。

母子共々、島に上手く溶け込み、島の人たちにも気に入られ、島のお父さんたちから「空き家を探してあげるから島に住まない?」と打診され、大喜びで快諾。

そのあとずっと、島で暮らしていたが、すっかり元気になった息子は自分のやりたいことを見つけ、夢を叶えるために今年から横浜の高校に通い始めた。

島の小学校をオープンスクールにするために立ち上がったのは、島のお父さんたちだったという。

島には、幼稚園、小学校、中学校まではあるが、高校からは全員が市内へ。

自分たちの母校でもある島の小学校を廃校にしたくはない、
どうすれば廃校を免れるか?と、就学前の子どもを持つお父さんたち数人が、市の教育委員会に掛け合ったのだ。

お父さんたちが廃校を阻止したかったのは、母校がなくなる寂しさやフェリーに乗せて市内の小学校に通わせる不安と不便さだけではない。

多感な子どもの時期にこそ、島で過ごしてほしい。

島の良さを感じながら暮らしてほしい。

どうせ高校生になったら島から離れるのだから、外の世界を知るのはそれからでも遅くはない。

子どもの頃に島の良さを感じないと、島に愛着が持てず、島に残ろうとは思わないだろう。ますます過疎化が進む。

キレイごとだけではない現実

こんなふうに書くと、良いことばかりのドキュメンタリーのようだけれど、現実はそうじゃない。

島の中でお父さんたちは異質な存在。少数派の変革者たち。

島の年寄りを中心に、排他的な島民はオープンスクールに反対した。

「島の外から変なものを持ち込まれるんじゃないか」

「普通の小学校に通えないドロップアウトした子どもたちをなぜ島で面倒見なければならないのか?」

「そんな子どもだから、なにか悪さをするんじゃないか?」

「こちらには不利益しかなく、メリットがまったくない」

「市内に住む親たちの【わざわざこちらが島に来てあげている】という態度が気に入らない」

反対派の意識を変えたもの

だが、次第に反対派の年寄りも子どもたちを受け入れ始める。

挨拶もロクにできない、彼らからしたら「出来そこないの子どもたち」が目に見えて変わってきたから。

「あんな挨拶もできない、協調性のない子どもだったのに、、、島に通うようになって見違えるように逞しくなった!」

人の変化を見られるのは嬉しい。

そこに自分が関わっていたのなら、尚嬉しい。なによりの喜び。
そうしていまも、このオープンスクール制度は続いている。

心の琴線に触れたのはなぜ?

この話をコミュニティ(茅ヶ崎ゆるり会)の面接で聞いて、我慢していたけれど泣いてしまった。
不覚にも。

当事者である彼女は淡々と喋っているのに、まさかわたしだけ泣き出すとは。

なんで泣くんだろ?
子どももいないのに。

情緒不安定?生理前か?と思ったけど、そうじゃないみたい。
わたしが感動したツボがどこかにある。

茅ヶ崎コミュニティに置き換えてみる

いま、私やコミュニティ(茅ヶ崎ゆるり会)のメンバーたちがやっていることは小学生のようだ。

自転車で近所に住む友達のところに行き、漫画やDVDを借りて帰って来る。
オイ、子どもかよ!

自転車で近所に住む友達のところに行き、酒を飲んでお喋りをして帰って来る。
・・・おやつのコーラやカルピスが酒に変わっただけだな。

「○○くん、△△ちゃんのこと、好きなんじゃな~い?」

「ええ!そうなの???」

「うん、だってこの前の飲み会のときにね~」

オイ、小5かよ!

ツッコミどころ満載。でも楽しいです。
こういうのがやりたかったので大満足です。

コミュニティは良いことばかりじゃない

でもね。

島のオープンスクール同様、良いことや楽しいことばかりじゃない。

人が多く集まれば、不平不満も出てくる。気の合わない人も当然出てくる。

いま、私たちはどちらの対応をしているだろうかと、ふと考える。

彼女の息子が馴染めなかった「異質なものを受け入れない」横浜の小学生たちだろうか。

彼女の息子を最初から受け入れた「異質なものを受け入れるのに慣れている」島の小学生たちだろうか。

気に入らない者を排除する理由

わたしは小学生の頃、イジメっ子でした。

男子も女子も、気に入らないヤツは片っ端から排除。

イジメられていた側の人は、きっと許せないだろうけど、正直、思い出せない。
イジメていた理由がわからない。

どうしてあんなにもムキになって、気に入らない子を排除していたのだろう。

親に支配的な教育や躾をされた覚えはないのに。

「誰よりも強くあれ」と望む母に、クラスのボス男子と戦って勝つ方法を仕込まれたりはしたけれど。

家庭内でストレスを感じることはなかった。はずなのに。

自分の心地良さに執着する性質

もう数週間前のことだけれど、おうちごはん初の試食会をした。
調理担当のメンバーのお宅で。

参考記事:おうちごはんのサービスをやりたい

メンバーは女性ばかり、わたしも含めて4名。

わたしは、コミュニティの集まりではいつも気を張っているので、酔っ払うことはほとんどないのだけれど、このときはかなり酔ってしまった。
ご機嫌になりつつも、結構、酔ってるな、という自覚があった。

たぶん、私にとって心地良い、心許せるメンバーだったのだと思う。
メンバー全員、飲んでも乱れない。ほとんど様子が変わらない。

6つくらい年下のAちゃんなんて、なんだか姉のような安定感。
わたしと同じでいろいろ大雑把だから、一緒にいてまったく気を遣わない。
ラク。超ラク。甘えたくなる。

そんなここ最近のことを思い出し、気付いた。

子どもの頃のわたしは、いま以上に「自分にとって心地良い場所」に、こだわりがあった。

心地良くない環境を生み出すやつは、悪。悪いヤツ。
場の空気を読めないヤツは悪。

そんなヤツは、わたしがみんなに変わって排除しよう。
そう考えていた。

大人になって変わったか?と自分に聞いてみる

さて、いまのわたしはどうだろう?

小学生の時分とあまり変わっていないことに気付き、凹む。

人間は自分で気付かないと成長しないように出来ているらしい。

島の小学生たちは、どうやって仲間を受け入れていくのだろう。

変わり者の転入生だらけだろうに。
気が合う子ばかりじゃないだろうに。

それは違うよ、心地良くないよ、と感じたら、排除せずにハッキリと本人に言うんじゃないだろうか。

そう想像する。
わたしが体験入学したい。

寛容な大人が作りだす寛容な社会

そして島のお父さんたち。

年寄りの顔色を窺いつつも、島の存続のために行動している。

さて、わたしたちはどうだろう?

昔の茅ヶ崎は良かった、いまの市長はアホだのと、批判を繰り広げてはいるが、なにか行動を起こせているだろうか。

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環境が変わると人は変わる。時間はかかるかもしれないけれど。

私が運営するコミュニティがそんな場所であったらいいなと願う。

排他的ではない「ちょっと異質なさびしんぼう」でも受け入れてくれる場所。
必要であればきちんと「教育的指導」をしてくれる場所。

そして、せっかく40名近いメンバーがいるのだから、心地良い茅ヶ崎を子どもたちに残すために、なにかできたらいいな。

そんな大人の背中を見た子どもたちは、きっと島の子どものような寛容な子どもに、そして寛容な大人へと育つのだろう。

まずは、わたし自身が、寛容な人になりたい。
寛容な社会に生きたい。

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