はて?なんでこの仕事をしているんだっけ?

働く人は誰しも一度は思い返すことがあるような気がする。
自分がなぜこの仕事を選んだのか。今選んでいるのか。
よくわからないけれど、今アウトプットも兼ねてまとめておかなきゃいけない気がして重い腰を上げてみた。

私の仕事はこれ

私は外資系生命保険会社で営業をしている。35歳で転職して、今5年目。
日本人がイメージする生命保険会社のセールスレディとは程遠い、男性社会、女性1割弱。
ええ、いい歳して、『紅一点だね』『支社のアイドルだね』だなんて言われ続けてきましたよ。
本当に紅一点ならもっと大事に扱われるべきだし笑、アイドルだったら社内恋愛なんかしません!!!(結果、未婚の母にもなってません!!)なんていう自虐はこれくらいにして。

『ヘッドハンティングで入社しました!』
『うちは学歴不問ではありません!優秀じゃなきゃ入れません!』
などカッコいいことを言う同僚もいるけれど、
結局のところ、そんなことはどうだってよくて、
所詮『保険屋』で、
究極のところ、『生命保険』でしかお客様のお役に立てません、て私は思う。
表面上、いろんな言葉を並べたり、カッコよく見せても、本質はここ。

生命保険の営業は『キングオブセールス』なんて言われることあるくらい、
難易度の高い営業らしいです。
友達いなくなるとか言われたりもするし。(この現象自体がおかしなことなんだけど)
なぜ難易度が高いのか?様々な見解ありだけれど、

私個人としては
『自分に万が一は起こらない、もしくはまだまだ先だ』
『死ぬことなんて考えたくない(考えることから逃げたい)』
『別にお金なんか残さなくていいし』といった
『重要度も大して高くないし、緊急度も低いよね』という状態から
『いや、死ぬことって万が一じゃなくて万が万だわ
(そりゃそうだ、いつかは必ず死ぬし)』
『明日何があるかわからない』
『よくよく考えたら最低限でもお金を大切な人に残したいわ』
『重要度も緊急度も上げる』プロセスが、そう簡単ではないからなんだと思う。
顕在ではなく、潜在意識に働きかけるってなかなか難しいことだよなって。

それに加え、フルコミッションだから、固定給もなく不安定だし、
確定申告しなきゃならなくて面倒だし(そこかよ)、イージーモードの正反対なわけなので。
本来怠け者であり、優秀でもない、営業が得意でもない私がどうしてこの仕事を選んだのか?
20代の頃から声をかけられていたから、という表向きの理由はあるけれど、
そんな理由だけで入社を決められるほど外資系保険会社の営業は甘くない。

生い立ち

私が小学校4年生の春、当時38歳だった父が肝臓癌で他界した。
大人になって母から聞く話だと、病院に駆け込んだ時には既に『余命3ヶ月』だったらしい。
私が9歳、妹7歳、弟5歳。母は父と同じ38歳。
父の余命宣告をされたときの母の気持ちを想像するだけで吐き気がする。

無常にも父の死は近づき、今でも覚えている30年前の5月24日の午前。
妹と弟が父の姉たちと病院から帰宅する姿を見て、それと入れ違いで私も歩いて10分ほどの病院に向かった。
たくさんの管が繋がれている状態で、一回りも二回りも小さくなった父を家族が囲んでいた。
家族といってもそこにいたのは、母と父方の祖父母、母方の祖母だけだったと思う。
そこにいる大人の誰かに促され、私は『お父さん、お父さん』と意識のない父に呼びかけた。
それまで昏睡状態だった父が、私の声にだけ反応して、最後に一筋の涙を流してこの世を去った。

このとき子供ながらに

『人生は一度きり』

ということを私は学んだ。

余談だが、父が亡くなってすぐに私がしたこと。
それはテレフォンカードを握りしめ、大人たちが泣き叫んでいる病室を飛び出し、
病院内の公衆電話から親戚に電話をした。
『お父さん死んじゃったよ』と。

長女気質だろうか。大人たちが泣いている異様な光景に『自分はしっかりしなきゃ』と心に誓ったのと、この日から『私だけは誰よりも笑顔でいよう』『面白いことを言ってみんなを元気づけよう』と生まれ変わったのを覚えている。
私は生まれつき底抜けに明るい奴だと思われることが多いけれど、実は後天的に備わったものである。
(それと引き換えに、ザ次女的性格の天真爛漫だった妹はとても静かな子に変わった)

話を戻すと、そんな9歳の私は、この時
『誰かの一度きりの人生に影響を与える、人生に彩りを添えられるようなことを仕事にしたい』と思うようになった。
我ながら早熟(?)。

温かい子を増やしたい。淋しい子を減らしたい。

父が亡くなってから、上述の通り、いわゆる長女気質の真面目な子供→おちゃらけた子供への変貌を遂げた。
また、父がいないことで周囲から同情されたり、後ろ指さされたりするのが嫌だったのと、頑張っている母の自慢の娘になろうと、目の前にあることは何でも必死にやった。
クラブ活動、習い事、勉強、委員会活動など。
小中学校時代の同級生で私を覚えていない人はあまりいないんじゃないかなというくらい目立っていたと思う。
ピアノが上手い子、勉強ができる子、部活でもホルンが上手い子、部長とか委員長とかやってる子など。

でも今思えば、そんなに好きなだけできたのは母のおかげだと思う。
父の死後、母が必死に勉強を頑張って、39歳で教師になり、子供3人を育て上げた。
父が長男だったこともあり、父方の祖父母の養女に入り、実の親でもない父方の祖父母と子供3人と暮らす日々。(私が母の立場だっらまじ無理。)
39歳で教師になったものの、当時教員試験を受けられる年齢を超えていたため、『講師』という立場で、本当に安い給料で働いてくれていた。しかも過酷な職場で。
家があったこと、祖父母に土地(田んぼ)があったこと、祖父母が孫のために生命保険で貯金をしてくれていたこと、父の生命保険があったこと、そして母が必死に働いてくれたからこそ、私たち兄弟は一度も経済的に不自由な思いをしたことがなかった。

兄弟3人共、私立の4年生大学に進学した。
1人くらい国立に行けよというところだが、誰1人として行けなかった。
(いや誰1人として受験すらしなかった、本当にごめんなさい。)

そればかりか、東京、大阪、神奈川と3人共バラバラで、それぞれ一人暮らし。
仕送りもそれぞれに毎月10数万。
もちろん、アルバイトをしたり、奨学金をもらったりもしたが、母子家庭とは思えない生活をさせてもらった。
ここで言いたいのは、大学に行けたこと、何不自由なく大学生活が送れたことが素晴らしい!ということではなく、
『大学に行ってもいいよ』という選択肢を与えてもらったことが、子供の成長においてとてつもなく尊い、ということだ。

もう一つ。
母は教師として必死に働きながら、夕飯の時間には帰宅し、美味しいご飯を毎晩作ってくれ、必ず一緒に食べてくれた。
運動会には大好きな唐揚げを作ってお弁当に入れてくれた。
部活動の大会にはビデオカメラ片手に必ず応援に来てくれた。
習い事の送り迎えもしてくれた。
中学以降は毎朝豪華なお弁当を作ってくれた。
子供との時間を何よりも最優先にしてくれていた。
母親に愛されているという実感、温かい気持ちを持ちながら、大人になることができた。
本当にありがたいことだなと大人になって気づいた。

一般的に母子家庭というと、金銭的に厳しいところがあり、『我が子のために』と時間を問わず必死に働き、結果として1番大切な我が子との時間を過ごせなくなってしまうことが多いと言われている。
母になってみてわかる。私も同じ立場なら娘のために昼夜問わず働くだろう。
でも子供にとってみると、それはとても淋しい。
お父さんも死んじゃって、お母さんも仕事で毎日いない。
これって子供にとってみれば、両親同時に失ってしまうのと同じ。
よく少年犯罪を起こす子供が母子家庭だったというニュースがあると、
『これだから母子家庭は…』なんてコメントを目にするけれど、
母子家庭が原因なんかじゃなくて、淋しい子供を作ってしまう環境が原因なんだって私は思う。

私がそうであったように、幼い頃に親を亡くすといった悲しい経験をすると、子供は『オトナ化』する。
子供なりの小さな頭や心で、『我慢しなきゃ』『頑張らなきゃ』って変に空気を読んだり、先回りして考えたり、その場を明るくしようと空回りしたり。
ただでさえ、心で泣いて頑張ってる。
そんな時に、淋しさが積み上がっていったら、更に我慢を強いられたら…
その子供が将来どうなるかなんて想像に難くない。
もちろん皆が皆ではなく、そういう可能性があるよ、ということ。

ただ、淋しい子を減らしたい。1人でも。それだけ。

『お金(資産)』があること。
これは全てではなく、解決できる一つの手段だと私は思う。
極論、別に生命保険でなくてもいい。
ただ、生命保険が有効な手段であることを身をもって知っているからこそ、
生命保険という仕組みを『正しく』伝えていきたいと思う。

そんなわけで、私はこの仕事を選んだ。

『死』を意識させられる唯一の仕事

巷では『生命保険はいらない』という人たちも増えていたり、
YouTubeでもそんな動画が飽きるほどアップされている。
そう考える人はご勝手に、と言いたいところだけど、性格の悪い私は、
生命保険の必要のない人なんていないと思うけどな、
死と向き合ったことがない人なんだな、時間が有限だと考えたことがないんだな、
大切な人がいない人なんだな、感謝の気持ちを持って生きてないんだろうな、
結婚してるとか子供がいるとかそういう顕在的なことじゃないんだけどな、
なとど思ってしまう。

生命保険という商品柄、必ず『死』を想像してもらう。
『Life』には間に『if』がある。

Live long(長生き)のL
 と
early death(早く亡くなる)のe
の間にifがある。

もし明日あなたが亡くなるとしたら、誰に感謝を伝えたいか?その人とどんな思い出があるか?どんな言葉を伝えたいか?

もし●十年後に亡くなるとしたら、今からどんなことをやりたいか?どんな人生を歩みたいか?

私は時間が許す限り、目の前のお客様の過去/現在/未来を深く教えていただくようにしている。
人生曲線を書いていただいて、とても長いアポイントになってしまうこともあるけれど。
そうすることで、上記の気づきを自然と感じてもらえればなと思う。
それに沿って、自分自身に明日もしものことがあった場合の『保障』、
自分の命を終えるまでにやりたいこととそれにかかるお金の『資産形成』
を一緒に考える。
もしそれで保険にご契約いただけなかったとしても、その人が私と会っている間に自分自身の人生の棚卸しができて、明日からの生きる活力になったりしたらこんなに嬉しいことはない。
もちろん金融なので、一緒に1ヶ月の家計簿をつけたり、将来の貯蓄について一緒にシミュレーションをしたり、住宅ローンについて試算したりもするけれど、私が本当にしたいことはそういった定量の部分ではなく、定性の部分。
定量=事実(顕在ニーズ)、定性=真実(潜在ニーズ)だと思っているので、
これまでどう生きてきて、今がどうで、これからどう生きたいのか?
といった心の奥底の声を聞ける人間でありたいと思う。
そのためには、私のこれまでの人生経験はもちろん、今の経験もこれからの経験も全て生きてくる仕事だなと強く感じている。
だって、人より変わった経験している人や、いっぱい傷ついてきた人に対しての方が、弱み見せやすくないですか?笑

どこの会社から入ったって保険はそんなに変わらないと言われる現代で誰から入るか。その『誰から』に選ばれる人間でありたい。
そう思うのです。
付き合いで契約する、内容よくわからないけれど何となく契約する、毎月の保険料が手頃だから契約する、ではなく、本当に必要なのか?何のために必要なのか?をきちんとワガゴトで考え、納得して契約してもらいたい。
人生は誰にとっても一度きりなので。

娘を授かる前の好き勝手できていた頃の私と同じようには働けないからこそ、
数字に追われる仕事の仕方ではなく、今迄以上にもっと中身に注力したいと思うようになった。
目の前の人の人生に憑依するくらい。
お客様以上にお客様の人生を知る、考えることができる自分であり続けられますように。
そんなわけで、未だ辞めずに、この仕事を続けています。

こんなに長文を最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございます。

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こじらせママちゃん

2021年5月に未婚で出産。20年ぶりに大都会暮らしから、生まれ育った会津若松へ移住。初めての子育てと仕事の両立に日々アタフタし、こじらせ、落ち込みつつも、持ち前の根拠なき自信でご機嫌に田舎暮らし満喫中。

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