前編はこちら。

上司に退職の意思を告げる
山ほど仕事を抱えている上に、年3回の街頭イベントの担当なので、ギリギリで退職を告げるのは会社にとって超迷惑。
冬商戦の準備が始まりだした2014年10月頃に上司に退職の意を伝える。
「来年4月の春商戦街頭イベントが終わったら退職します」
半年前に告げるとか、わたしってばスマートさんだわーと思いながら。
部長に心配される
きっと引き止められるだろう、相当引き止められるだろうと覚悟していたのに、まったく引き止められることはなく、上司(部長)にこう言われました。
「本当にやめて大丈夫?」
「考え直してもいいからね」
「気が変わったらいつでも言ってね」
「ウチやめてほかにいい転職先なんて(年齢を考えても)見つからないと思うよ」
燃料投下
「部長、優しい」
「部長の言う通りかも」
と、思うはずもなく。
部長とも、何度もバチバチにやりあっていたので、そんなこと思うわけがない。
当時のわたしは彼の言葉に怒り心頭。ハラワタ煮えくりまくり。
「こいつ・・・まじ腹立つ、ぜったい見返してやる!」
わたしをよく知る元カレ曰く、わたしは
「仮想敵を作って自分をメラメラ燃やすタイプ」
らしい。
部長の言葉が燃料となり、次の日からワードプレスサイトを立ち上げブログを書き始める。
そう、いま書いているこのブログ。


彼女に会うのだけが名古屋イベントの楽しみでした。
会社を辞めるために書き始めたブログ
会社を辞めるための準備として始めたこと。
当時付き合っていた人に、5年くらいかけてずっと言われていたブログを書くということ。
「あなたの書く文章は面白い」
「長文メールとかで俺だけが読んでいるのがもったいない」
「ブログ書いたらいいのに」
そのたびに「えー、人に読まれる文章なんて書けないよー」と逃げ続けていたけれど、ずーっとずーっと言われ続け、さらにはこうも言われた。
「あなたは会社の人たちを責めるけれど、みんなは普通。あなたが特別。」
「あなたにはハッキリと見えているものでも、他の人たちには見えてないし到底気付けない」
「気付けない人を責めても仕方ない」
「人にはない着眼点で文章を書けるのがあなたの最大の強み」
「自分にあわない会社なんてとっとと辞めて、文章を書いて食べていけ」
これほどの賞賛を浴び続けたら、いくらビビリのわたしでもその気になる。
ブログ書いてフリーランスになれるのかな?
そんな思いでブログを立ち上げることを決める。
毎日書いて300記事近くに
茅ヶ崎駅から朝5時台の湘南ライナーに乗り、車内でブログの下書きを作る。
昼休みには会議室に鍵をかけて立てこもり、下書きに手を入れて、画像を挿入してワードプレスに投稿。
このスタイルを退職する日までの半年間、ずっとやり続けました。
飽きっぽくて自分に激甘なわたしがやり通せたのは、間違いなく部長のおかげ。
仮想敵ってすばらしい。
2014年の10月に書き始めたブログが、徐々にPVを伸ばし、3ヶ月で1万PVに到達。
ブログを読んだ方からちょいちょいメッセージももらったりして。
これは・・・やばい、わたしもしかして、才能があるのでは?と大いに自信を持つ。
ブログは直収入にならず、集客装置となる
当初はブログの広告収入で独り立ちできればと思っていたけれど、わたしが書き始めた「地域ブログ」は、「アドセンス広告」とも「アフィリエイト広告」とも相性がよろしくなく、月間PVが7万まで伸びても、月の広告収入は1万円程度。
話にならん。ビジネス設計ミス。収益設計ミス。
あと「文章をコツコツ書き連ねること」だけは時間を忘れて没頭できるけれど、広告を貼る位置を試行錯誤したり、ブログの構成を見直すなどの「コツコツ&チマチマ地道な作業系」もまったく向いておらず。
そもそも、人百倍コミュ力が高いのに、1日部屋にこもってPCカタカタやってるのは、己の能力をフルに使えてないのでは?ということにも気づく。
そうこうしているうちに、やがてブログが「集客装置」として機能しはじめて
「ブログを読みました、弊社の記事のライティングをお願いできませんか?」
「ホームページリニューアルを手伝ってもらえませんか?」
という依頼が舞い込み始める。
正しい選択を自ら作り上げた
フリーランスになって稼げるようになったのは、運でも選択が正しかったからでもない。
「正しい選択をした」と思えるよう、恥も外聞もかなぐり捨てて、目一杯行動したから。
だからいまこうして、満員電車とも稟議書ともヒステリックババアとも不毛なミーティングとも、まったく無縁の生活をしている。
打ち出の小槌を握っていたサラリーマン時代より稼げるようになった。
他責している場合じゃなかった
元職場の悪口を散々書き連ねましたが、当時のことを結構忘れていて、かなり頑張って記憶をたぐりよせました。
そのくらい、いまのわたしにとってはどうでもいいこと。
遠い遠い過去の出来事。
当時は
「会社が悪い」
「上司が間違っている」
「同僚たちの考え方はおかしい」
と、文句タラタラ星人でした。ああ、恥ずかしい。
他責をしているうちは、現状なんて変えられないんです。
いまの環境に満足できないのは、だれのせいでもない。
自分が行動しないから。ただそれだけ。
それを人のせいにするのは単なる逃げです。
と、過去の自分に言ってあげたい。なぜなら動くのが遅すぎたから。
価値を見つけてくれるのは他人とか世間だった
自分になにができるのか?
いまあるスキルで稼げるのか?
世の中にニーズはあるのか?
それは他人が決めてくれました。
フリーランスとして最初の業務委託契約は、地元の工務店さんの広報まわりの仕事。
「ホームページリニューアル」のディレクション業務を任されたのだけれど、そのあとも、あれやこれやいろいろ頼まれて、なぜかお施主様を招待する「クリスマスイベント」の企画運営と司会進行も任される。
会社員時代に街頭イベントを死ぬほどやってきたので、クリスマスイベントなんて朝飯前。
文章がそこそこ書ける人は山ほどいるけれど「コミュ力」と「営業力」「推進力」
クライアントの要望にあわせて、エンジニアやデザイナーに作業を依頼する「ディレクション力」のほうが、世の中的に不足しており、ニーズがあると知りました。
動いてみないとわからなかった。
自分で自分を見つめるのは難しいし、自分で思いつくことには限界がある。
自分の能力に価値があるかどうかを判断するのも、他人であり世間様でした。
だれかに話してみる
わたしの場合は、前彼がキャリアコンサル的な存在でした。
「あなたに会社勤めは向いていない」
とも言われた。たしかに。
そういえば、去年、10年くらい会ってない知人から、ある日突然、メッセージが来た。
「会社辞めてフリーランスになろうと思ってるんだけど、相談に乗ってもらえますか?」
え?なんでわたし?と思ったけど、こんなブログ書いているからか。
彼女は小槌とは呼べない、打ち出の大槌を持っている。外資の金融で高給取り。
震災ボランティアを通じて知り合った人で、有能で信頼できる。
彼女がやろうとしているジャンルで人材が必要なときは、自信を持って推薦できる人。
見つけてもらう
よく考えたら、去年だけで4人くらいの相談に乗ってる。仕事にしようかしら。
こんなふうにして、仕事につながっていく。
自分の能力の中で「世間に求められているもの」が見えてくる。
でも、発信しないとだれも気づいてくれない。だから発信する。
「こんな仕事がしたいんですー」とアピールするのでもいいし、興味あることや勉強し始めていることや、最近考えていることなんかをSNSに投稿するだけでもいい。
わたしはどちらかというと後者。とくに3つめの「考えていることを発信」が多い。
研修講師やらない?
ブランクあってもやれそうな気がする。
いつもSNS見てるから。


研修講師???
そういえば、昔やってたな・・・くらい遠い記憶だったけど、去年、十数年ぶりに講師として登壇。
20〜30代の頃と違い、いまならリアルな実例をバンバン出して、新入社員を震え上がらせる、、、じゃなくて本気にさせることができた。受講生の真剣な眼差しが嬉しかった。
過去の経験から「どんなに仕事が大変でも死んだりしないでね」と、かなり本気で思ってしまい、初回は最後のご挨拶のところで感極まり泣きそうだった。
厳しくとも、健やかな社会人人生を送ってほしい。そのことを伝えたい。
今年もまた登壇させていただけるのが、本当にありがたい。
さとちゃん、いまって仕事パンパン?
新しく受ける余裕あるかな?
メディアを立ち上げるんだけど、連載コラム書いてもらえたらなーと思って。


どんなメディアで書くコラム?
Yさんが立ち上げるメディアのコンセプトに大いに共感。
お正月、一気に4本書いた。
書くのが楽しくて楽しくて仕方なかった。ありがたい。
独立を考えていて相談にのってほしいです!


また???
なんでわたしなんだろ?
なんの資格も持ってないし、仕事にしてるわけでもないのに。
でもニーズがあるなら、そろそろ仕事にしようかしら。
研修講師仲間にも勧められた、キャリアコンサルタントの資格取る?
それはだるいな・・・(迷い中)
書いてて改めて思った。発信って大事だな。
発信しないと、おもしろい仕事ともおもしろい人とも出会えない。
最近飽きて放置してたけど、またちゃんと発信しようっと。
おしまい。