嫁と別れて人生やり直したいと考えている夫に伝えたいこと

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ブログを書く人にはおなじみの「キーワードプランナー」というツールがあります。

特定のワードを入れると、世の中の人たちがどんな単語の組み合わせで検索しているのかが分かるツールです。

ちょっと調べたいことがあり、そのツールに「夫」と入れてみました。

以下、(おそらく世の妻たちが)「夫」のあとに入力しているワード。

「離婚したい」 「死んでほしい」 「殺し方」

・・・・・(´・ω・`)

お父さんたち、ご存命ですか?

辛うじてご存命だったとして、自分の人生を生きていますか?

今日は私にしては珍しく、世のお父さんに伝えたい話です。

青ヶ島で最高の昼食を楽しむ71歳男性

テレ東の「昼めし旅」という番組を初めて見ました。

番組で紹介されていた、青ヶ島(東京の離島)でひとり暮らしをする、めちゃくちゃ不愛想な71歳の男性。

「あなたの昼飯を取材させてください」と頼んだら、夜なら家に来ていいという。不愛想だけどオープンなお方。

この71歳男性の自慢の夜ごはんが凄かった。

失礼ながら、清潔とは言い難い「男やもめな台所」で、昼間釣った魚をおろして刺身にし、魚を丸ごと使って味噌汁にもする。
オープンだけれど、やはり不愛想なので、スタッフの分は用意されていない。

「これ以上、旨いモノを食べさせてくれるとこあんの?」

自慢を挟みつつ、スタッフおあずけ状態で、男性は食事を続ける。

食べなくたってわかるわ。旨いに決まってる。

昼前にフラリと港に行って魚釣りをし、夜は自分の釣った新鮮な魚で旨い晩飯&晩酌。
なんという贅沢な暮らし。

久しぶりに父親のことを思い出した。
ウチの父もこんな暮らしがしたかったに違いない。

父が望んだ暮らし

離婚したいと父が言った(らしい)

あれは父がリストラされる前のことだから、もう15年以上前のこと。

父が母に離婚したいと言った。

子供も二人とも巣立ったし、会社も雲行きが怪しい。
田舎に引っこんで、ひとりで小さな家に住んで、自分で生活する分だけを稼いで、自分で食べる分とちょっとご近所にお裾分けできるくらいの畑をやって、、、

そんな暮らしがしたいと父は望んだ。

ウチの母はそんな「田舎志向」「自然派志向」を小馬鹿にするタイプなので、父の計画に最初から母は含まれていなかった。

女ができたわけでも、母と大喧嘩したわけでもない。

集団就職で山形から東京に出て来て、30年以上勤めた結果、田舎暮らしに戻りたいと思ったのだろう。
料理が得意で人付き合いも好きな父には、近所付き合いの希薄な埼玉のベッドタウンよりも、田舎暮らしのほうが合っていた。

離婚が叶わなかった父の末路

青ヶ島の男性はウチの父より3歳くらい上。
いまだかつて病院の世話になったことがないと自慢していた。

やはり老後の幸福度は「健康」。

円満離婚したいという父の望みは「は?なに言ってんの?」と母に一蹴され、無かったことにされた。

リストラ後、父は赤帽の仕事をしていたけれど、65歳のときに脳梗塞で病院に運ばれまして。

頭をあけてみたらすでに手遅れで、一切の手術ができない状態であったため、なにもせずに頭をとじて。
少しでも身体機能が回復するよう、リハビリ病院と老人保健福祉施設でそれぞれ半年過ごし、現在は特別養護老人ホームにいます。

自宅介護を拒む母

65歳という若さで特別養護老人ホームに入所した父は、施設で最年少。

「高次脳機能障害」「左半身麻痺」「要介護度5」の最強カードを引っ提げて、80~90歳代の待機老人300人をごぼう抜きにし、特養に潜り込んだ。

リハビリを終えたとき、父は家に帰りたさそうだったし、看護士さんも「遠慮気味に」「遠まわしに」父が家に戻りたがっているでのは?と、伝えてきた。

しかし、母が自宅介護を断固拒否。

わたしが実家に戻り、弟嫁にも実家に通ってもらい、わたし&母&弟嫁の3交代制でなら、自宅介護も可能ではないか?という弟嫁&わたしの提案も頑なに拒否。

じゃあ、わたしが一人暮らしの自分の家に引き取って、ヘルパーさんと一緒に介護するよ、の提案も「子どもに迷惑かけたくない」の一点張りで拒否。

父は「高次脳機能障害」のため自分の意思を伝えることができない。意思疎通の会話ができない。
性格的に「家族には迷惑をかけて当たり前、だって家族なんだから!」と考えるタイプなので、話せたらこう言っただろう。

「家に帰りたい」「それがダメなら娘(わたし)の家で世話になりたい」。

でも父が話せない以上、わたしたちは母の意見を尊重するしかない。
最高決定責任者が妻である母だから。

施設はおそろしく清潔で明るい日が射し込んで、スタッフさんはみんな優しい。
そんな施設で残りの人生を過ごすであろう父。あと20年は生きるかもしれない。

父を見ると、どうしても思ってしまう。

いま、なにが楽しくて生きていますか?

青ヶ島で暮らすあのお父さんと、一体、どこでなにが違ってしまったのだろうか。

ウチの父に足りなかったもの

父に圧倒的に足りなかったモノとは。

健康管理

食べるのが大好きで、おじいちゃんも父の兄弟5人も全員糖尿病。
そして全員もれなく糖尿病から脳梗塞へ。
糖尿病のエリート家系。
シアワセな老後を過ごしたいのなら、おカネを貯めるより健康管理。

母は食べ過ぎを何度も注意したのに、まったく言うことを聞いてもらえなかった・・・といまだに父を恨んでいる。

男のプライドや責任感を捨てる勇気

妻に愛情を持てないのなら、なんと言われようとキッパリ別れればよかったのに。

母が離婚に反対した理由→「まだ住宅ローンも残っている。家の頭金を出してくれた同居している年老いた母(母の母)を追い出すというのか?」

憐れな父を見て思う。

完全にヨメ選びを失敗したね、、、

父の入院後に、父の債務整理をしていてわかったのだけれど、祖母の年金と母のパートで、家を売って部屋を借りて暮らしていけないこともない。

それでも、自分の老いた母を武器に「絶対に家を手放したくない」「家のローンがあるから別れない」と、はねつけた母。

なにに固執したのだろう?
家?父?家族?それとも生活が変わるのが怖かった?

母にとって離婚は、「なんとなく不安」「おもいっきり不満」「絶対にあり得ないこと」だったのだろう。

嫁の自立サポート

娘の私から見て、父と母、どちらが仕事の能力が高いかと言ったら、断然母だ。

おそらく、仕事に対する責任感とかプライドが父と母とでは違う。
母のほうが仕事に対してシビアだし、業務遂行能力が凄まじく高い。

父も母が正社員として働くことを希望していた。

母が40歳くらいの頃、パートで働いていた会社で正社員にならないかと誘われた。
いいじゃない!と乗り気の父。
なのに母は「責任ある仕事と家事の両立は無理」と、せっかくの誘いを辞退した。

最近になって、母がこんなことを言っていた。

「ママが正社員で働いたら、パパがサボって仕事をしなくなると思った。仕事をしなくなったからと言って家事をしてくれるわけでもないし」

「家事も仕事も押し付けられるのは、割に合わないと思ったのよ」

父は自分のことは自分でするし、気が向いたときに料理を作って家族に振る舞ったりもするけれど、家事はしない。
わたし世代の父親はだいたいそうだ。

仕事だけして帰って来る父。
パート(子供が小さかった頃は内職)+家事育児をこなす母。

自分がフルタイムで働いてきたからわかる。
圧倒的に母の負担のほうが大きい。

父が心を入れ替えて、
「もちろん、家事も半分負担するから、正社員として働いてほしい」
「あなたにはその能力がある、片輪じゃなくて両輪で稼いで、早く家のローンを完済してしまおう!」

そう提案したらどうだっただろう。また違う未来が待っていたかもしれない。

3組に1組が離婚する時代において大事なこと

男としてのプライドは、一旦脇に置いといて、嫁の能力を認め、尊重し、出産育児でキャリアを積みにくい嫁のサポートをする。

茅ヶ崎に暮らし始めて「夫と嫁の両方と仲良し」という知り合いが多いのだけれど、ほとんどの場合、嫁の方が優秀だ。

こんなに能力高い人に家事育児だけさせてるとか、まじでもったいない・・・おまえが家事育児やれや、←こんなんばっかり。

妻のキャリア構築をサポートした結果、良い関係になれるかもしれないし、自立した妻から離婚を切り出されるかもしれない。

そんなの仕方ない。

だって恋愛期間の魔法はとっくに切れてるんだもの。
恨みっこなしで別れられるなら、それが一番。

バイバーイ、ありがとう!
良いことも悪いこともあったけれど、良いことのほうが多かった(ような気がする)
子どもを授かれて本当に良かった。グラッチェ。
もしも来世で会うことがあったら、次は夫婦じゃないと思うけど、そのときは、またひとつどうぞよろしく。

そろそろ離婚もこのぐらいライトになればいいのにね。

話を戻す。

離婚したあとに嫁が自立できるよう、準備しておくことが大事。
父に足りなかったのはこれだ。母に一蹴されても仕方がない。
自業自得。
無駄な男のプライド。

そうは言ってもなかなか離婚も別居もできないよね!というお父さん。

子供が小さいうちはそうかもしれないけど、
子供が巣立ってからも、妻と楽しく暮らせれば最高だけれど

わたしはそんなご夫婦は、映画「きみに読む物語」でしか見たことがありません。
(人生ベスト5に入る名作)

妻と生涯楽しく暮らすのがAパターンだったとして、Bパターンの人生もあり得ることを、今からイメージしておいたほうがいい。

特養でボンヤリと毎日を過ごす、まだ60代の父を見ていて、心からそう思う。

おしまい。

※追記
父は90才まで生きることはなく、67才で特養で亡くなりました。
青ヶ島で魚釣りして気ままに暮らす老後は、ウチの父には用意されていなかったみたい。

※追記2(2020年2月13日)
4年前に書いたこの記事、なぜかやたら時間がかかり「ふぁー、やっと書き終えた!」のタイミングで母から着信。
父の容体が急変したと言われ、その日のうちに特養で亡くなりました。という、いわくつきの記事です。
死ぬ間際の生き霊と化した父が、埼玉から茅ヶ崎まで飛んできて、わたしに憑依して書かせたのかもしれません。

パパー、書いたよー
いちばん読まれてるよー
よかったねー

【親の介護問題】90歳の勝ち組と64歳の負け組のはなし