自宅から自転車で10分弱のコミュニティセンターで、意地悪な感じの小学生女子に出会い、感じたこと。思い出したこと。
女子っぽい女子は小学生のときから女子っぽい
近所のコミュニティセンターのフリースペースでいろいろと作業している。ここは近隣の小学生女子が多く集う。
受付でダメだと言われたにもかかわらず、とぼけているのか言われたことを忘れているのか、堂々とカードゲームをおっぱじめ、職員に叱られてションボリしている頭悪すぎる微笑ましい男の子たちとは違い、女の子たちは大人しく、気を遣いながらヒソヒソ喋っていて、とってもお利口さんで躾が行き届いていて、賢くて可愛らしい。
が、わずかに例外もおり、いま斜め向かいにいる小4くらいの女子二人組は、こちらを見て笑いながらヒソヒソ話を繰り返し、大変感じが悪い。
大目にみていたけれど、あまりにしつこいので鬱陶しくなり、「なにかありましたか?」と問いかけたら「別に」と。
性格悪そうだなあw
小学生女子の陰湿さを30年ぶりくらいに思い出した。
立ち直れないくらいに(精神的に)叩きのめしてやりたい。
小4女子とフリースペースにおけるボスの座を争い中(^◇^)
42歳未婚子ナシの私が取るべき行動とは?
私の頭に浮かんだこと
①こういう子がイジメの主犯格になるのだろうか?
②彼女の陰湿な表情をじっと見ていると、彼女の母親の顔が想像できる。母親もまた似たタイプなのだろうか。
③親に愛されていない子供なのだろうか。
私の取るべき行動とは?
A:心がトゲトゲしている彼女たちに対し、ニッコリ微笑んで優しく話しかける(大人の対応)
B:「なにジロジロ見てんのよ、不愉快だからやめなさいよ!」とブチ切れる(大人げない対応)
C:存在しないものとして完全無視
さて、あなたならどれを選ぶ?
私も底意地悪い小学生女子でした
「この子たち、最悪だな・・・」と思いつつも、頭の奥のほうで何やら声がする。
ん?なになに?よく聞こえない・・・
耳を澄ませてみよう。
「あんたもそうだったじゃん」
え?
「あんたもそうだったじゃん!!」
ああ、そうでした。
私も底意地悪い小学生で、大人相手に似たような態度を取っていました。それでたびたび叱られていました。
叱ってくれたのは小学5年生のときの担任の女の先生。
先生:「ヒソヒソ話していると周りが気にするからやめなさい」
底意地悪い小5(わたし):「周りの人たちのことなんて話してません。周りの子が自意識過剰なんじゃないですか?休み時間に仲の良い子と自由に話しちゃいけないんですか??」
負けずに言い返し、自分の正当性を主張する、最悪な小学5年生女子(わたし)。
ある日、担任が意地悪な顔で感情的に私に言った。
「いい加減にしなさいよ。そうやってヒソヒソ喋っている自分の顔を鏡で見てみなよ。ものすごく意地悪でイヤーな顔してるから。それがそのまま張り付いてブスになるよ」
先生ついにマジギレ。
そしてこれは相当に堪えた。「人として最悪だね!」と言われているってことが、よーくわかったから。
この日を境に態度を改めたかどうかは憶えていないが、良いショック療法ではあったのだと思う。
生意気な息子を持つ友人の悩み
「賢く、大人びていて、口の利き方が強烈に生意気な息子」を持つ私の友人。
大人に対して生意気な発言をしていないか(しています)いつもハラハラしている。
息子の発言に対して、嫌な顔をする大人を見ると哀しくなるという。
まあ、そうなんだろうけど、それはちょっと親として弱っち過ぎるのではないだろうか。
私は彼の発言のほぼすべてに共感するので、ついつい同調してしまうけれど、嫌な顔をしてくれる人の存在はありがたいと思う。
自分の子供が他人に叱られているのを見るのは辛いだろう。子供がいないから実感としてはわからないけれど、多分そうなのだろう。
でも、それは子供にとって悪いことなのだろうか。
勇気を出して子供をよその大人と交流させてみる
普段、接する大人が「親」「先生」「激甘のじいじとばあば」しかいない子供にとって、赤の他人の大人と接するのは成長する良い機会だ。それが「共感」であったとしても「批判」であったとしても。
ひとりの大人が子供を躾上げるのには限界がある。
私自身、子供の頃に母に躾けてもらって有難いと思う反面、やはり母ひとりだけだったので(父は躾には関与せず)大人になってから自分の偏りに気付き、苦労して自分で自分を躾け直した。現在進行中。
ひとり(もしくはふたり)の大人では限界があるからこそ、よその大人と交流を持たせ、子ども自身に己の行動の良し悪しを考えさせることも重要なのではなかろうか。
よって、次に彼女たちに出会い、また同じようなヒソヒソ話を始められたら、ブチ切れる気満々でいる。
エキゾチックな顔立ちをした美少女といえる彼女はいま、「愛され女子」と「嫌われ女子」の岐路に立っているように思える。
いま、彼女たちがやってくるのを、ひとりフリースペースで待ち構えている。