X

【いじめの原因って?】私達はもっと過去の経験を語るべきだ

哀しむ少女

あなたはいじめっ子でしたか?
それともいじめられっ子でしたか?
それとも傍観者でしたか?

もしかして、いじめっ子も、いじめられっ子も、傍観者も、すべての経験がありますか?

そういう人、多いんじゃないだろうか。

いじめの原因ってなんだろう?なんで繰り返されるのだろう。

いじめについて語り合う中学生女子

もう、1か月以上前のことですが、夏休みのコミュニティセンターフリースペースにて。

中学1年生くらいの女子3人が真剣な面持ちで「クラスのいじめ問題」について語り合っていた。
いじめが原因で自殺をした男の子のニュースが連日報じられていた頃。

A子
T君がいじめられているの知ってる? 
B子
いじめられているとこ見たけど、まじ悲惨 
C子
あんなことされたら死にたくなるかも 
B子
まじやばいよね、止めないと 
A子
どうする?親に言う?先生に言う? 

 

さとちゃん
え?そうなの?それはまじやばい。止めないと

 

クラスのいじめに危機感を抱いている彼女たち。

なのだけれど。

次第に会話は、いじめっ子の人格批判へ。

A子
だいたいY子ってなんであんなにエバってるんだろうね? 
B子
あんなエバれるほど頭良くないし、可愛くもないよね 
C子
そもそもY子ってちょっと変わってるんだよ 
B子
逆にY子を無視してやったら反省するんじゃん? 
さとちゃん
おお、大変だ。話がおかしな方向へと進んでいく。

あなたはいじめっ子でしたか?いじめられっ子でしたか?

中学生たちの会話を耳にして頭を抱えたくなったのは、話がおかしな方向に進んだからだけではない。

私が子供の頃からイジメは蔓延っていたし、当時も大問題になっていたはずなのに、その性質はまったく変わっておらず。

授業中にコッソリ手紙をまわして「Y子、今日からシカトね!」とやっていたのが、LINEになっただけのことだ。拡散力の差はあれど本質は変わらない。

私たちの誰もが経験してきたことが、ツールだけ変えて繰り返されていく。

 

冒頭の質問。

あなたはいじめっ子でしたか?
それともいじめられっ子でしたか?
それとも傍観者でしたか?

私は3つ全部です。

比率でいうと圧倒的に「いじめる側」でしたが、中学生の頃「仲の良い女子みんなに無視される」というのもありました。

自分だって「いじめる側」にいたくせに、逆の立場になってみると、世界が終わったような気持ちになったものです。 今でもはっきりと思い出せる。

いつ死んでもいいなとまで思い詰めていました。
もちろん、親に相談することもできず。
「ウチの娘は強い」と信じている母親に、自分が置かれた惨めな状況を話すことなどできませんでした。

そしていちばん鮮明に覚えているのは「いじめっ子」だった自分。
なぜあんなにも酷いことができたのか。ここに書くこともできない。

普段は、頭の端の端のほうに追いやっているけれど、記憶が消えることはない。
いじめのニュースを見るたびに、記憶が呼び戻される。

 

もっと語るべきじゃないだろうか

「いじめがあってはならない」
「いじめは犯罪だ」
「いじめっ子の家庭に問題がある」

そうなのだけれども。

そんな一般論ではなく、もっと自分の記憶を呼び戻して話してみたらどうだろうか。みんな封印している、無意識に封印したがっている記憶があるはず。

私たちのリアルな経験と痛みと、大人になったいま、振り返ってどう思うのかを子供たちに伝えたい。

私自身、自分が経験したいじめについて(やったことも、やられたことも)大人になってからはひとりの人にしか話したことがない。封印していたから。

けれど、真剣に話し合う中学生を見て語りたくなった。

いじめられている子供が、自分の置かれた状況を話してみようかと思える大人は「自分の経験を語る大人」なのだという。

 

人は誰でもプライドがありますが、イジメを受けるとよりプライドが高くなります。
イジメなど別に平気だと言わんばかりに、苛められても時には笑ってでも
自分のプライドを守り抜こうとします。

そんなボロボロになった子供を救えるのは、最終的には同じ経験をしてきた人です。

「この大人も子供の頃は、自分のようにイジメに遭ってたなら気持ちが分かるかも・・」
という希望に近い物が見えたりするんですね。

 

しかしイジメのような問題が起こった場合は、「大人だって過去に周りから
イジメを受けたり嫌な思いをさせられた事があるんだ」と
語ってくれる人が居てくれたらどんなに心強い事か。

目の前にいる大人たちも、同じ思いをした事があるんだと思えば
子供の僕は安心して相談が出来たと思います。

(引用元:あらたメディア 「元いじめられっ子が教える、いじめに遭う子供を救える真の大人象」より)

子どもを持つ親たちはどうなのだろう。

自分が受けたいじめの経験を話しているのだろうか。
それとも話しにくいものなのだろうか。

子どもの相手が苦手なのに、子どもと接点を持ちたいと考えるのは、未来に向かって生きる人に関わりたいから。
親や学校の先生だけではなく、いろんな大人と接する機会が子どもたちにあればいいのになと考えながら「おうちごはんプロジェクト」を妄想する。

「駆け込み寺」「ライフライン」と言ったら大げさすぎるのだけれど、大人にとっても子どもにとっても、家でも家庭でも職場でもない「居心地の良い第三の場所」。

そんな場所を作りたい。

私たちの経験してきた痛みが、次の世代のためになることを願う。

更新情報はこちらから

「フォロー」「シェア」「転載(出典先を明記)」してもらえると小躍りして書き続けます(^^)/

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。