X

つまらない生活はイヤなので「心震える体験」を求めて生きていきたい

残りの人生、どう生きていこう

先々週、父が亡くなりました。享年68歳。

父が亡くなった時刻の少し前に、書き終えたのがこちらの記事。

(参考:嫁と別れて人生やり直したいと考えている夫に伝えたいこと

上のブログを書き終えて、ふう、やけに時間がかかったぜ、、、と思っていたら母から電話があり、そのすぐあとに息を引き取ったそうな。

父のことを、もうずいぶん思い出していなかったので、最後に思い出させにやって来たのか。
それとも「オマエ、親をバカにするようなこと書きやがって!そんなの他人様に見せるのは許さないぞ!」と止めに来たのか。

後者だと思うとなんだか悔しいので、躊躇なく記事公開。

脳梗塞を発症してから、3年半の命でした。

(参考:【親の介護問題】90歳の勝ち組と64歳の負け組のはなし

早い早い。人生は思っているよりずっと短い。棺の中の父を見て、そんなことばかり考えていました。

 

心震える出来事ベスト3(ここ10年)

父の早すぎる死を見て、ボンヤリかつ真剣に考えていること。

前職で無駄な5年間を過ごしたので、もう無駄なことはやりたくない。なるべく寄り道はしたくない。

正直、少し人生に飽きている。心の底からワクワクするようなことが無い。贅沢な悩みなのかもしれないけれど。

でも、それって生きていると言えるのかしら?はて?

じゃあ、私は過去にどんなことにワクワクして感激したのか?を直近10年で思い出してみた。そこにヒントがあるような気がして。

2005年:仕事で嬉し泣き@仙台

派遣の営業をしていたとき。

仕事を紹介後、現場でイキイキと仕事をしていたスタッフさんに感謝の言葉をもらった。

「小さい子供が2人いる私に仕事を紹介してくれてありがとうございます。他の社員さんは反対していたのにさとちゃんさんが【この人なら絶対大丈夫!】と押してくれたお蔭です。仕事に就けて人生変わりました!」

仕事の能力は高いけれど、ヤンママ且つツンデレな彼女はあまり愛想の良いタイプではないので、そんなふうに思ってくれているとはつゆ知らず。電話口で感激して号泣。

その後、自信をつけた彼女は、子供ふたり連れて離婚しちゃったけど。。。

2008年:気の合う友達ができました@福岡

人生の折れ線グラフでもっとも高い位置に点が置かれるであろう1年間。

40年ちょっとの人生の中でいちばん楽しかった福岡暮らし

2011年:心の通う暮らしを見た@聖蹟桜ヶ丘

ちょっとしたご縁があり、聖蹟桜ヶ丘にある「コレクティブハウス」を見学。

(コレクティブハウスって?な方はこちら→見えない、つながり感 〜コレクティブハウス聖蹟

赤の他人同士が、キッチンや居間など、一部分だけを共有して暮らすコレクティブハウス。

行く前は、へええ、そんなのがあるんだ~程度でたいして興味もなかったのだけれど。

行ったらなぜか、何を見ても、何を聞いても、涙腺緩みまくり。

説明会の途中、どこかの部屋で泣き出す赤ちゃん。

赤ちゃんの様子を見に行く隣人(赤ちゃんのお母さんが進行役だったので)。

代わる代わる、住人の誰に抱っこされてもご機嫌な赤ちゃん。

そんな様子を見て、私はずーっと泣くのを堪えてた。あれはなんだったのだろう?

(コレクティブハウスの話は、また今度詳しく書きます)

私がワクワクして、心震えるほど感激することは

この10年。住む場所が5回変わり、それなりに変化もあった。

新しい恋愛を始めたり、それが結構、難儀なことだったり、友達と旅行に行ったり、美味しいものを食べたりもしたけれど。

そんなことでは、私の心は震えない。

私の心が震えるのは、人と関わること。

人に影響を与え、感謝され、自分も人から影響を受けて、人に感謝していく暮らし。

他人と暮らしを共にすること。

それを実現できる場所が、いま暮らしている茅ヶ崎なのか。別の場所なのか。

なんとなく別の場所のような気がして、住むところを変えようかな?と思案中。

次は島で暮らしたい。

そんなことを、日々ボンヤリと真剣に思案中。

更新情報はこちらから

「フォロー」「シェア」「転載(出典先を明記)」してもらえると小躍りして書き続けます(^^)/

Facebookページはこちら

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。