X
    Categories: 介護

人と人が助け合う そんな当たり前のことが当たり前にある日常

当たり前のことが当たり前にある日常で暮らしていました。小学4年生まで。

お互い様がある暮らし

借家が10軒ほど連なる、小さな集合住宅(文化住宅)の中に私の家はありました。
隣の家とそのまた隣の家に年齢の近い子供がいて、総勢7名でいつも遊んでいた気がする。小学校中学年くらいまで。

まーくん、あやみちゃん、ひーくん、くみちゃん、あさちゃん(私)、てっちゃん(弟)、くみちゃんの弟だけ名前思い出せない。

その家の「長男長女」の名前で呼ばれるのありませんでしたか?
いまもファミリー単位でのご近所付き合いはそうなのかしら?
うちは「あさちゃんち」
隣の家は「まーくんち」
隣の隣の家は「くみちゃんち」

思い起こせば、幼い頃の暮らしの日常に「人と人が助け合う」があった。当たり前にあった。

夕飯支度中の母に頼まれる。
「まーくんちでお醤油借りてきて」

弟出産のため入院予定の母が、私に言い聞かせる。
「まーくんちでご飯食べてね」
「まーくんちのおばちゃんの言うことちゃんと聞いてね」

家族で一泊旅行に出かける直前の母が、まーくんちのおばちゃんに頼みごとをする。
「それじゃ、犬と猫と文鳥とウサギの世話をお願いします」

飼育してる動物多すぎだろ、借家の分際で。
しかも留守中にウサギが出産。どこまでも迷惑なお隣さん(うち)

私の母は、鬼の生まれ変わりなんじゃないかと思うほど厳しくて、門限を1分でも過ぎると家に入れてもらえなかった。
入れて入れてと縁側で泣き叫んでいると、まーくんちのおじちゃんがすかさず入れ知恵をする。

「あさちゃん!裏の玄関から入れるよ!」

ガチャ。母がそっこーで鍵を閉める。おじちゃん、声大きい。

おじさんが大怪我で入院して、おばさんが病院に付きっきりだったとき、まーくんち3兄弟の面倒はうちの母が見ていた。

これがわたしの原体験。

あんまり顔変わってない(白黒なのはカメラマンだった叔父の趣味)

コレクティブハウスでの体験

30代。会社勤めがしんどくて、上司や同僚たちのことが嫌いすぎて心が病んでいたとき。
ひょんなことから、友人たちとコレクティブハウスの見学に行く。
聖蹟桜ヶ丘にあるコレクティブハウス。

コレクティブハウスとは、雑に説明すると、シェアハウスよりももっとガッツリ関係性が近い住まいのこと。

各世帯の個室と共有部に分かれる一棟の建物に、小さい子供のいるファミリー層、老夫婦、同棲カップル、ひとり暮らしの若者、ありとあらゆる属性の人たちが暮らす。

見学に行ったコレクティブハウスはこんな感じ。

・入居希望者が集まり、事前に何度もワークショップを行う
・ワークショップの中で暮らしのルールを決めていく
・コモンミール(食事当番)を導入するかどうかもワークショップで決める

住民による説明の時間となり、コレクティブハウスに暮らすママさんが食堂で話し始めると、どこかの部屋から赤ちゃんの鳴き声が。

「あ、起きちゃったみたいだね、わたし連れてくる」

ママさんの家族ではない、同じコレクティブハウスの住民である若い女性がさっと席を立ち、赤ちゃんを抱っこして戻ってきた。
すっかり泣き止み、安心して抱っこされている赤ちゃん。

赤ちゃんの様子と住民のみなさんの穏やかに見守る表情を見ていたら、どうしても堪えられなくて泣いた。胸にくるものがあった。

あれはなんだったんだろう。わたしの原体験が訴えてくるなにか。

(現在)お互い様のある暮らし

いま、これを書いているのは日曜の朝7時半。

今日はデイサービスが無いから、おばあちゃんは好きなだけ寝ていられる。
が、いま階下で音がした。トイレに起きたのだろう。
このタイミングで紙パンツを交換させてもらえるとありがたい。

下に降りようとすると母から声がかかる。

「お風呂追い焚きしてあるから、おばあちゃんに声かけてもらえる?」

母は、おばあちゃんのために「支度をする」「段取りをする」は、率先してやるが、本人と対峙するとイライラが募ってストレスMAXになるので、直接のお世話はなるべく私に押し付けようとする。

おばあちゃんの世話なんて、ほんの15〜20分で済むのでお安い御用だ。

実家暮らしになってから、「家族で助け合う当たり前の日常」に身を置いている。自室のテレビが映らなくなれば、クルマで30分の距離に住む弟が対応してくれる。

やってきた弟に母が声をかける。

「テレビ映らなくなるたびに呼び出されて大変ねえ〜」

大嫌いな自分の母親の介護を嫌な顔ひとつせずやってくれる娘には、死ぬほど感謝しているけれど、大事な息子を簡単に呼びつけるのは気に入らないらしい。めんどくさいメンヘラ属性。似なくてよかった。

「おばあちゃんと母親の面倒を見てもらってるんだから、テレビのアンテナ直すくらいお安い御用です」

弟はそう返していた。できる子や。言ってやれ言ってやれ。メンヘラ女に言ってやれ。

家族の距離がこんなにも近いのは、中学生ぶりかもしれない。

「おばあちゃんの介護をするために実家に帰ってえらいね」

えらくはない。できることを当たり前にやっているだけ。だってできるから。たいした負担もなくできちゃうから。

1日のうち、朝夕あわせて、たかだが30〜40分くらいの介護・介助の時間。
これを「私ばかりやらされて損してる」とか思うようになったら、人としてだいぶ終わってると思う。

人と人が助け合う そんな当たり前のことが当たり前にある日常。まずは身近なところから。

たぶんもう、ひとり暮らしに戻ることはない。

だれかの世話をしたり世話になったり、お互い様のある日常のほうが豊かだと気づいたから。いや、思い出したから。

最近は、次の暮らし方に想いを馳せている。

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。