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廣永さんのこと

2022年3月14日追記

映画「ドライブマイカー 」とNHKドラマ「恋せぬふたり」を観て、廣永さんのことを思い出した。37歳で肺癌で亡くなった元同僚。

思い出すことが、一番のご供養になると昔聞いたから、この記事は命日が近くなったら毎年リライトして公開しようと思う。

「ドライブマイカー」も「恋せぬふたり」も「流浪の月」も、廣永さんの感想を聞いてみたかった。

文役が松坂桃李なのは、悪くないキャスティングだと思うんだけど、どう思う?

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(※この記事は2017年4月に書いたものです)

廣永さんとは、2015年春まで、同じ会社の同じフロアで働いていました。

部署も違ったし、廣永さんは営業で家電量販店にいることがほとんどだったから、社内で顔をあわせる機会は少なかったけれど、わたしが会社を辞めたあとも、たまーに電話で話したりLINEでやり取りしていました。

「わざわざ録画して観るテレビ番組がほぼ一緒」

という、わたしにとって奇跡の人であり、気の合う人でした。

営業で忙しいのに、貴重な休みの日にドラマのエキストラをやっていて、自分が映りこんでいるドラマのシーンを写真に撮り、LINEでせっせと送り付けてくる・・・という嫌がらせを受けました。

「あなたのファンじゃないから送って来なくていいよ」
そう伝えても、毎回、嬉々として送り付けてきました。
映りこみが小さいときは、わざわざ自分の顔を赤丸で囲んで送りつけてきやがりました。

ある年の夏、病気でしばらく休職するとメッセージがきたとき、なんとなく勝手に「心の病?」と思い込み、あまり深くを尋ねることはせず。

そこから半年くらい経ち、TBSドラマ「カルテット」にはまり、このドラマは、自分と感覚の近い人、ドラマや映画に関する見識が私以上のレベルの人と語り合いたい!!と思い

いまどこにいるの?
大阪だっけ?
ところでなんの病気か聞いてもいーい?

と、軽い気持ちで連絡をしたら、ヘビーな病名と「僕もビックリです!」というライトなコメントがセットできて、大いに動揺。

ブログの開設方法を教えてほしいと言われ、じゃあ、体調が良いときに会おうよ!と、彼のいる大阪の吹田市へ会いに行きました。

ブログを始めようと思ったいちばんの動機はなにかと聞いたら「吐き出したいから」だと。弱音も含めて、自分の感情を吐き出す場所がほしいと。

あとは「生きているうちに、やりたいことは、さっさとやったほうがいい」というのをブログに書きたいとも。さらに、映画やドラマや音楽の話も書きたいと。

会社の人たちや、いまの会社の様子についても話してくれました。

年下の同僚が自分の上司になったこと。
上司になった彼のことを心からリスペクトしていること。
でも、やっぱり悔しいから、自分も本気出して、もっともっと職場で活躍したいということ。

本気で仕事を頑張りたいと決意した矢先に、病気が発覚したこと。

病気そのものよりも、決意したタイミングで病気が見つかったことが、いちばんショックだったということ。

実家が大阪なので、今後の入院治療を考慮し、関西支店に異動させてくれた会社の上層部の心遣い、人事部の手厚い対応と気遣いに感謝しているとも。

早く病気を治して、職場に復帰して、会社に対して恩返しがしたいと、真剣な顔で話していました。綺麗事ではなく、心からそう思っているようでした。

大阪芸大出身で、前職はFM802で、映画・ドラマ・音楽に精通していて。
好みが一緒だった彼の脳内ライブラリーが覗けるブログを読みたかったけれど、間に合わなかった。残しておきたかった。

もっと早くわたしから連絡すればよかった・・・とも思うし、もっと早く相談してくれればよかったのに!と、責めたい気持ちもあり。

「わたし、実はドラマの脚本家になりたかったんだー」と、メッセージをしたら、「僕は芸人になりたかった」と、返ってきたこともありました。

高校生の頃に憧れていた芸人さんがいて、出待ちを繰り返し、やっとネタを見てもらうことになったタイミングで、その芸人さんが亡くなった話も聞きました。

雨上がりの同期で、第二のダウンタウンと言われるほどの天才だったと。だれだろう?

おそろしくどうでもいいことですけど、わたしの好みの男性のタイプ(外観)は

1.メガネ
2.ヒゲ
3.塩顔
4.高身長
5.関西弁

であり、185センチほどの長身で仲本工事似の廣永さんは、条件をオールクリアしている唯一の人でした。7つ年下だったけど。ご縁がなくて本当に残念です。

あの日、別れ際に「わざわざ吹田に来てくれてありがとうございます」と、やたら丁寧に頭を下げられたことを思い出す。

「わざわざ大阪から吹田じゃなくて、わざわざ茅ヶ崎から大阪まで来たんだよ、あなたに会いに」と、イラっとしたけれど言えなかった。

仕事のついでに行くよーと、嘘をついたのはわたしなので。

いま思えば、あのタイミングで会う約束をするのは無茶すぎた。

会ったその日は、本当に体調が悪そうで、ゼーゼー言いながら咳き込んでいて、待ち合わせの吹田駅からランチのお店まで、わずか10分くらいの距離だったのに、歩いては止まり、歩いては止まりして、30分以上かかった。
その間、ずっとハラハラしていて、「もう、今日はやめておこうよ」と言おうかどうしようか迷いに迷い、でも、諦める気がなさそうだったので言えずにいた。

お店に着いてからもなかなか咳が止まらず、会話もままならず。
「やっぱりやめておく?もう帰る?」と思い切って聞いたら、もうしばらくしたら落ち着くから待ってくれと言われ、ただただ咳き込む彼を見守ることしかできず。

1時間くらい経つとようやく咳がやみ、上に書いたことを饒舌に、堰を切ったように語り始めた。

ランチの時間が終わり、店を出たあともまだまだ話し足りないようで、「夜はウチでごはん食べながらもっと話しませんか?」と言われて。

でも断ってしまった。
夜は別の友人たちと約束があったからだけど、咳き込みながら話す彼に向き合い、顔では平静を装いつつ、「この人、大丈夫だろうか?」とハラハラしながら話を聴き続けることが、もう限界だった。

そして翌日、再入院し、「アドバイスしてもらったブログ開設が進められずすみません」と謝罪のメッセージが来て、退院することのないまま1ヶ月後に帰らぬ人となった。

無理しないでねと言いつつも、重い病気の彼を引っ張り出してしまったこと。

あの日、もっと話したそうだった彼の誘いを断ったこと。

まだ元気だった頃、映画とかミュージカルとかいろいろ誘ってくれたのに、すべて断ってしまっていたこと。

そのすべてを後悔している。

彼氏彼女の関係にはなれないしなーとか、そういうの本当に、本当に本当にどうでもよかった。

ただただ同じものを観て、感想を言い合う。
そんな時間をもっと作ればよかった。
それはきっとわたしにとって贅沢な時間だったはず。

あの、のんびりとしたトーンの頭上から降って来る関西弁が、もう聞けないと思うと哀しい。

この先、心震えるドラマや映画を観たときに、真っ先に感想を言い合いたい相手がいないのも寂しい。

最後に会ったとき、

「ほんま、やりたいことは、さっさとやったほうがええんですわー」と、珍しく力説していたことは、わたしが代わりに発信しておきます。自分のブログで。

ほんのわずかだったけれど、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
会社にいた頃は、愚痴をたくさん聞いてもらった。
会社を辞めたあとは、人に話したことのない、深い深ーい話ができた。

闘病生活、本当にお疲れさまでした。

また来世で会いましょう。

ご冥福をお祈りいたします。

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。