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廣永さんのこと

廣永さんとは、2015年春まで、同じ会社の同じフロアで働いていました。

部署も違ったし
廣永さんは営業で店舗(大型家電量販店)にいることがほとんどだったから
社内で顔をあわせる機会は少なかったけれど
わたしが会社を辞めたあとも、たまーに電話で話したりLINEでやり取りしていました。

「わざわざ録画して観るテレビ番組がほぼ一緒」

という、わたしにとって奇跡の人であり、気の合う人でした。

営業で忙しいのに、貴重な休みの日にドラマのエキストラをやっていて
自分が映りこんでいるドラマのシーンを写真に撮り、LINEでせっせと送り付けてくる・・・という嫌がらせもされました。

「あなたのファンじゃないから送って来なくていいよ」
と言っているのに、嬉々として送り付けてきました。
映りこみが小さいときは、わざわざ自分の顔を赤丸で囲んで送りつけてきやがりました。

ある年の夏、病気でしばらく休職するとメッセージがきたとき、
なんとなく勝手に「心の病?」と思い込み、あまり深くを尋ねることはせず。

そこから半年くらい経ち、TBSドラマ「カルテット」にはまり、
このドラマは、自分と感覚の近い人、ドラマや映画に関する見識が私以上のレベルの人と語り合いたい!!と思い

いまどこにいるの?
大阪だっけ?
なんの病気か聞いてもいーい?

と、軽い気持ちで連絡をしたら
ヘビーな病名と「僕もビックリです!」というライトなコメントがセットできて、大いに動揺。

ブログの開設方法を教えてほしいと言われ、じゃあ、体調が良いときに会おうよ!と、彼のいる大阪の吹田市へ会いに行きました。

ブログを始めようと思ったいちばんの動機はなにかと聞いたら「吐き出したいから」だと。弱音も含めて、自分の感情を吐き出す場所がほしいと話していました。

あとは「生きているうちに、やりたいことは、さっさとやったほうがいい」というのをブログに書きたいとも。さらに、映画やドラマや音楽の話も書きたいと。

会社の人たちや、いまの会社の様子についても話してくれました。

年下の同僚が自分の上司になったこと。
上司になった彼のことを心からリスペクトしていること。
でも、やっぱり悔しいから、自分も本気出して、もっともっと職場で活躍したいということ。

本気で仕事を頑張りたいと決意した矢先に、病気が発覚したこと。

病気そのものよりも、決意したタイミングで病気が見つかったことが、いちばんショックだったということ。

実家が大阪なので、今後の入院治療を考慮し、関西支店に異動させてくれた会社の上層部の心遣い、人事部の手厚い対応と気遣いに感謝しているとも。

早く病気を治して、職場に復帰して、会社に対して恩返しがしたいと、真剣な顔で話していました。綺麗事ではなく、心からそう思っているようでした。

いつでもブログを始められるように準備を整えていましたが、その後、再入院してしまい「タイミング悪くてごめんなさい」というメッセージが届きました。

大阪芸大出身で、前職はFM802で、映画・ドラマ・音楽に精通していて。
好みが一緒だった彼の脳内ライブラリーが覗けるブログを読みたかったけれど、間に合わなかった。残しておきたかった。

もっと早くわたしから連絡すればよかった・・・とも思うし、
もっと早く相談してくれればよかったのに!!と、責めたい気持ちもあり。

「わたし、実はドラマの脚本家になりたかったんだー」と、メッセージをしたら
「僕は芸人になりたかった」と、返ってきたこともありました。

高校生の頃に憧れていた芸人さんがいて、出待ちを繰り返し、やっとネタを見てもらうことになったタイミングで、その芸人さんが亡くなった話も聞きました。

雨上がりの同期で、第二のダウンタウンと言われるほどの天才だったと。(だれだろう?)

ところで、おそろしくどうでもいいことですけど、わたしの好みの男性のタイプ(見た目)は

1.メガネ
2.ヒゲ
3.塩顔
4.高身長
5.関西弁

であり、185センチくらい?の長身×仲本工事似の廣永さんは、条件をオールクリアしている唯一のひとでした。7つも年下だったけど。ご縁がなくて残念です。

あの日、別れ際に「わざわざ吹田に来てくれてありがとうございます」と、やたらと丁寧に頭を下げられたことを思い出す。

「わざわざ大阪から吹田じゃなくて、わざわざ茅ヶ崎から大阪まで来たんだよ、あなたに会いに」と、イラっとしたけど言えなかった。

仕事のついでに行くよ~と、嘘をついたのはわたしなので。

いま思えば、あのタイミングで会う約束をするのは無茶すぎた。

会ったその日は、本当に体調が悪そうで、ゼーゼー言いながら咳き込んでいて、待ち合わせの吹田駅からランチのお店まで、わずか10分くらいの距離だったのに、歩いては止まり、歩いては止まりして、30分以上かかった。

お店に着いてからもなかなか咳が止まらず、会話もままならず。
やっぱりやめておく?もう帰る?と聞いたら、もうしばらくしたら落ち着くから待ってくれと言われ、ただただ黙って咳き込む彼を見守ることしかできず。

1時間くらい経つとようやく咳がやみ、上に書いた話を饒舌に語り始めた。

ランチの時間が終わり、店を出たあともまだまだ話し足りないようで、夜はウチでごはん食べながらもっと話しませんか?と言われて。

でも断ってしまった。
夜は別の友人たちと約束があったからだけど、
咳き込みながら話す彼の向かいに座り、顔では平静を装いつつ、この人、大丈夫だろうか?とハラハラしながら話を聴き続けることが、もう限界だった。

そして翌日再入院し、退院することのないまま、一ヶ月後に帰らぬ人となった。

無理しないでねと言いつつも、重い病気の彼を引っ張り出してしまったこと。

あの日、もっと話したそうだった彼の誘いを断ったこと。

まだ元気だった頃、映画とかミュージカルとかいろいろ誘ってくれたのに、すべて断ってしまっていたこと。

そのすべてを後悔している。

彼氏彼女の関係にはなれないしなーとか、そういうの本当にどうでもよかった。

ただただ同じものを観て、感想を言い合う。
そんな時間をもっと作ればよかった。
それはきっとわたしにとって贅沢な時間だったはず。

あの、のんびりとしたトーンの
頭上から降って来る関西弁が、もう聞けないと思うと哀しい。

この先、心震えるドラマや映画を観たときに、真っ先に感想を言い合いたい相手がいないのも寂しい。

最後に会ったとき、

「ほんま、やりたいことは、さっさとやったほうがええんですわー」と、
珍しく力説していたことは、わたしが代わりに発信しておきます。自分のブログで。

ほんのわずかだったけれど、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
会社にいた頃は、愚痴をたくさん聞いてもらった。
会社を辞めたあとは、人に話したことのない、深い深ーい話ができた。

闘病生活、本当にお疲れさまでした。

また来世で会いましょう。

ご冥福をお祈りいたします。

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さとちゃん

茅ヶ崎暮らし6年目。ブログを書いたりウェブまわりの仕事をしたり。