上の写真は子どもの頃のわたしです。
まだ邪悪さが顔に表れていないですね!
35歳の若さで亡くなった伯父が撮ってくれたものです。
父の話を書いたので、従弟のことを。
※4年前にmixiに書いた日記を転載
従弟が亡くなりました
従弟が亡くなりました。
享年32歳。車の中で練炭自殺。
車内には「戻らなければ警察に連絡して」という内容のメモ。
パソコンの中には「葬式はしないで」と書いた遺書があったそうな。
中学でイジメにあい、不登校で高校にも進学できず。
仕事を転々とするなか、職場でパワハラを受け、
それがきっかけで3年前から鬱病に。
最近は少し良くなってきていて就職活動もしていたけれど、
いまのご時世、中卒でブランクもある経歴で採用されることは難しく。
子供の頃から太っていて、幼稚園のときに父親を亡くし、母子家庭で家も質素で。
性格は温厚で優しく、そして真面目で不器用。
イジメの標的となる要素を人より多目に持っていたのかもしれない。
同じ境遇で早稲田に入った年子の弟と、何が違ったのだろうか。
彼らの父親が症例の少ない心臓の病気で亡くなったとき。
火葬場に向かう霊柩車の中で、真新しい火葬場を病院だと勘違いした当時5歳の彼は「お父さん、今度はキレイな病院で良かったね!」 と発言し、霊柩車の運転手さんを号泣させたそうだ。
・・・確かに、東京女子医大は古かった。
父の死を、幼すぎた彼ら兄弟は憶えていないらしい。
年子の弟の葬儀でのあいさつ
その年子の弟のほうは、火葬の場でもそのあとの食事の席でも、
母を支えて気丈に振る舞っていたけれど、
タバコを持つ手と皆の前で話す唇がずっと震えていて痛々しかった。
棺が納められる瞬間「もう、いやだ!」と、悲痛の声をあげていた。
兄が鬱になってからというもの、頻繁に連絡を取り合っていたらしい。
残された兄の携帯には、弟からのメールと着信履歴だけが残されていて、 あとはすべて消されていたそうな。
きっと悔しい思いでいっぱいであっただろう、弟。
来てくれた兄の友人達に挨拶をする場で、 鬱病のことも練炭自殺のことも包み隠さず話し、
「兄にはこんなに味方になってくれる人がいたのに、ホントにバカな兄ですみません!」
身内ながら立派な挨拶でした。よくできました。
さて、この重たい話をどうやってまとめたらよいものか。
人との縁について考える
私は自殺した人にお別れをするのは二度目。
残された人が背負うものの重さと無念さをを改めて感じた。
大事な人にこんな思いをさせちゃいけない。
優しかった従弟は、今頃、あちらの世界で猛烈に後悔しているに違いない。
憔悴しきった母と弟を見て。
そして私自身のこと。
私の記憶の中の従弟は、まだ幼稚園のまま。
いろいろ事情はあるにせよ、この縁の薄さ。
最後に会ったのがいつだったのかも思い出せない。
近くにいたら、話をする機会があれば、 何かできたかもしれない。
イジメっ子への対処方法を教えてあげられたかもしれない。
仕返ししに行っていたかもしれない。
そんなときのために私の気の強さはあるのではないか。そうじゃなきゃ無駄だ。
なのに、してあげられたことが火葬場でのお茶汲みだけだなんて、情けない。
後悔しても、もう遅い。
火葬から帰って来た先週土曜の夜、 NHKで「無縁社会」についての番組をやっていた。
地縁、血縁、社縁。縁が薄まっている現代をどう生きるか。。。という内容。
いまある縁を大事にしたいな。でも、大事にするってどういうことかな。
しばらくはそんなことを考え続けそうです。
以上、気持ちの整理をしたくて日記を書きました。
長文にお付き合いいただきありがとうございました!
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