お誕生日おめでとう。わたし。

プロフィール

さとちゃんはこんな人

蚊に刺された
昨日寝てるあいだに首んとこ蚊に刺された~と説明中のさとちゃん(2015年夏)
友人マンションのエントランス(オハナ茅ヶ崎ガーデニア)で自分の家のように寛ぐ2016年梅雨時のさとちゃん
友人マンションのエントランスで自分の家のように寛ぐ2016年のさとちゃん
凶悪な黒猫を可愛がる2017年1月のさとちゃん
目つき悪い黒猫を可愛がる2017年1月のさとちゃん
リアルな写真がきつくなる年齢に差し掛かり、イラストに頼りはじめた2020年2月のさとちゃん
リアルな写真がきつくなる年齢に差し掛かり、イラストに頼りはじめた2020年2月のさとちゃん
加齢にあわせてイラストを美化してみた最近のさとちゃん

なまえ

さとちゃん

おしごと

・ウェブ制作ディレクション
・書くお仕事

得意なこと

・相手が言葉にしない頭の上の吹き出しを読むこと(透視力)
・相手の立場になりすぎて考えること(憑依体質)
・場の空気や人間関係を一瞬で察知すること(観察力)
・相手に心地良く喋らせること(傾聴力)
・場を取り仕切ること(統率力)
・面白くて共感される文章を書くこと(文章構成力・語彙力・共感力)ショートコード

地域コミュニティ運営をやりはじめて、その後、サクッと辞めた理由

・2014年6月に茅ヶ崎に越してきたときから、地元で飲み仲間を得るためにコミュニティを作ろうと考えていた。

・福岡転勤時代に死んでしまいそうなほどの孤独を感じたこと、その後、福岡でコミュニティを作り、楽しい日々を過ごした経験があり、コミュニティが多くの人を救うことをこのとき知った。
また、自分はコミュニティ運営に向いていると自信を持った。

・メンバー数が50人を超えたあたりで有料コミュニティに変更したものの、様々なトラブルが発生し「こんなんやってらんねーわ」とコミュニティを閉めました。

茅ヶ崎コミュニティでの失敗を大いに語る

ブログを始めた理由

・長文メールやmixiの日記など、書くものについて褒められることがよくあり、それなりに自信はあったけれど、広く多くの人に披露する勇気はなかった。
当時付き合っていた相手に「あなたの文章は面白い、ブログを書いたほうがいい!」と5年くらい言われ続け、ようやく2014年にブログを開設。

・最初の8記事くらいをアメブロで書いたあと、たぶん、イケハヤさんの本かなにかで「ブログ書くならアメブロやめとけ、ぜったいワードプレス」みたいなのを読んで、せっせと自分でワードプレス構築。えらい。

・そういえば、中学のときは国語だけ偏差値70台。国語だけ。高校のときには、授業で書かされた創作文がプリントされ、私の許可なく全クラスに配られた。

・2度くらいしか会ったことのない、当時の彼氏の恩人(故人)がお正月に夢に出て来て「あなたに足りないのは発信力だ」と告げられる。
生前、多くの人に影響を与えた方だと聞いていたので、故人になるとさらにその存在は(私の中で)神に近く、おお、神がわざわざ私のところにやってきて仰ってくださったのだから、これは勇気を出さねばと、思いきってブログを始めてみた。

・最初に投稿するときは、ビビってビビってビビりまくって、どうしても勇気がでなくて、なかなか「投稿」ボタンが押せず、手が震えるほどに緊張した(遠い記憶)。

・会社を辞めたあと、ブログを通してマネタイズできないかと考えたけど、そう甘くはなかった。

好きな生き物

毛が生えているモフモフ系を愛しているので、犬も猫も好き。小型犬はやかましいので嫌い。
いま飼っている猫は人生で11番目に飼う猫。だから名前がトイチ(十一)。メスなのに。

職歴と恋愛遍歴

ブログを読んでくださった初対面の方から
「どんな仕事をしてきたんですか?」「どんな恋愛をしてきたんですか?」と聞かれることがあり
まとめてみました。毎回同じ話をするのがだるいので。

どうしようもなくヒマなときに、ソファに寝っ転がりながら、飛ばし飛ばし読んでください。

19歳

学費を稼ぐために目一杯アルバイトをしていたので、働くことに嫌気がさす。
キャバクラバイトの給料が良すぎたため、短大新卒の初任給を見て卒倒。
まともに就職するのがバカらしくなり就職せず。
「誰かに食べさせてもらうってなんてステキなんだ!」
という思考のもと、専業主婦になること前提で彼の住まいから30分で通えるネズミ―ランドにてアルバイト。
ここから3年間、恐ろしく充実したフリーター生活が始まる。

(この頃の恋愛)
カネ目当て(結婚目当て)で付き合っていることが8歳上の彼にバレバレで結婚してもらえず。
計画失敗。医薬品MRで小金持ちな彼でした。

23歳

まだ携帯電話が普及していない時代に、彼の実家に電話をかけたところ、彼姉に「電話応対が感じ悪い」とダメ出しをされ、ひどく落ち込む。
確かに会社というところで働いたことがないので、電話応対もビジネスマナーも身に付いていないよな~と思い、楽しすぎたネズミ―ランドのバイトを辞めて、新宿のカード会社にパート社員として入社。
「お客様サービス部」にて、電話応対をイチから学ぶ。
電話応対も身に付いたが、払うもんも払わずに謎に逆ギレしてくる客をいなす術も習得。

(この頃の恋愛)
自分の姉のダメ出しをそのまま彼女に伝えるような男とは結婚生活も上手くいかなさそうだと確信し、乗りかえ。
新彼に車を出してもらい、旧彼の部屋にあった3年分の私物を回収。
背中を見せたら刺されるかも?と怯えつつ、旧彼の部屋で荷物をまとめる23歳。

26歳前半

チーフに昇格したものの、そろそろ仕事に飽きてきて、職場の人間関係も煮詰まってきた頃、彼に仙台転勤の辞令。
以前から同棲計画を立てていた為、部屋代を会社が出してくれるなんてラッキー!とばかりに、会社を辞めて仙台に一緒に行くことにする。
「結婚を前提とした同棲」ということで、双方の両親にも挨拶をし、許可を得る。
仙台に行ってからしばらくは働かず「今日あなた以外に喋ったのはスーパーのレジのおばちゃんだけだ」と彼に報告する毎日。
彼からは「最近、頭の回転が鈍ってない?働きに出たほうが良いんじゃない?」と言われ、ショックを受ける。

(この頃の恋愛)
彼のスーツのポケットから風俗のポイントカードを発見。
同棲し始めてからというもの、「気の合いすぎる似た者同士な性格&同い年」が災いし、一切の性交渉なく兄弟のように暮らしていたので、仕方がないと思いつつも大いにショックを受ける。

26歳後半

仙台に友達も居ないし、家にひとりでいると悶々としてくるので働きにでる。
手っ取り早く、国分町のキャバクラへ。
これパンツ見えるだろーレベルの恐ろしくスリットの入ったドレスを着させられる。
おかげでいまだに異常に寒さに強い。

(この頃の恋愛)
19歳以来、7年ぶりのモテ期到来。同時進行5名。
いま妊娠しても誰の子だかわかんないな~という乱れた生活を送る。
同時進行全員の名刺を並べ「最も稼ぎが良く」「最も親ウケしそうな社名」の富士通勤務の男に目をつけ、付き合いだす。
新彼に車を出してもらい、旧彼の部屋にあった半年分の私物を回収。(デジャヴ)
同棲解消して埼玉の実家に帰ると思いきや、まさかそのまま仙台に残って別の男と同棲するとは!
と、怒り狂った旧彼が、働いていたキャバクラに客として現れ、ネチネチネッチリと嫌味を言われる。
これはストーカーになるのでは?と恐怖を感じ、実家の母親に相談。
母が旧彼にやんわり釘を刺し、大事には至らず。

別れ際に彼が憎々しげに吐き捨てた「小心者のクセにやること大胆だよね!」がいまだに忘れられない。
こんなにも私を理解してくれている人と、未来永劫つながりを持つことが無いとは、、、無念。
来世で会おう。

27歳

キャバクラから足を洗うべく、昼間の仕事探し。
派遣社員として、ドコモのインターネットまわりのコールセンター職に就くも、リクルート出身を自慢する(田舎者全開の)有能な女性係長が「こんな知識ゼロの派遣を採用しやがって!しかも2名も!」と、採用を決めた無能課長に対して激おこ。
無能課長と有能女性係長との板挟みで、電話応対の仕事を一切させてもらえず。
半年間「自分たちで勝手に勉強してね〜」と、快適すぎる別室を与えられ、ネットサーフィンで時間を潰して給料がもらえる、という夢のような職場に勤務。
さすがはドコモ様・・・な1999年あたりのエピソード。

(この頃の恋愛)
新彼の住まいが会社寮のワンルームであったため、新たに部屋を借りて同棲をスタート。
私の希望により、旧彼と暮らした家の近くであることを(車が無くても生活できる太白区長町南エリア)旧彼に知られて怒られる。
「その無神経さが信じられない!!」と。
たしかに。おっしゃるとおり。まちがいない。

29歳

半年間の自習期間を経て、コールセンターデビュー。要領よく仕事をこなし、あっという間にベテランで主(ヌシ)。
有能な女性係長にも常に顔色を窺われる存在に。
特技はどの職場に行っても「下克上起こしたよね」と言われること。
この頃、チーフにならないか?と打診を受けるも、派遣スタッフが最前列席で必死に電話を取っている後ろで、「チャットで不倫会話にいそしむ男性主任様」「おやつに梨をむいて出してくれる、まったく仕事しない(できない)課長様」といった大企業のユルユルっぷりおよび彼らのアホみたいな高額給料を知ってしまい憤慨。
やってられん!と契約更新せず。転職活動を始める。

ちなみにタイピングの速さをよく褒められるのですが、この時代に「チャットで社員の悪口を言いまくる」というトレーニングを積んだおかげです。ありがとうドコモ。

(この頃の恋愛)
生活にも彼にも飽きているが、情があるので別れられない状態。

30歳

転職活動の面接にて。
私より年下の見るからに賢そうな、めっちゃ仕事できそうな面接官(男)の巧みな誘導で、ウッカリ上に書いた現職の不満を口にしてしまう。

「でも、それって佐藤さんの力で変えられなかったんですかね?」と切り返され、言い返せず悔しい思いをする。
この面接官はホントに嫌なヤツで、その日の面接者の履歴書をパラパラパラっとめくってみせて「まあ、これだけ応募があったんでねえ~」と、落ちても気にすんな!的なことを暗に言われる。
ああ、この面接落ちた・・・あんなできる社員のいる会社で働きたかったのに・・・とガッカリ。

が、なぜか採用され、小躍りする。
採用後に研修で東京本社に行ったら、面接官の彼がポツンとしている私に声を掛けて、あれこれ世話を焼いてくれた。
嫌な奴だと思ったら、めちゃめちゃいい人だった。性格の悪い良い人っているよね。
菅原さん、ありがとう!
あなたが採用してくれてなければ、いまの私はきっといない。

研修を受けたあと、携帯電話ショップスタッフ向けの接客マナー研修講師の仕事に就く。
人前で話すのが苦手だったので、死ぬほど緊張する。「食事が一切喉を通らない」ってホントにあるんだと知る。

(この頃の恋愛)
前年と同じ。

32歳

大人の事情で会社の業務継続が不可能な状態となる。
リーダーとして、みなが次の職にスムーズに就けるよう、会社に内緒で暗躍。
本社マネージャーが営業権を譲渡してもらい、別会社を立ち上げることになったため、移籍を決める。
新会社への移行期間のあいだ、前会社に籍はあるものの仕事がないヒマヒマ状態の為。
あまりに暇なので上司公認で教習所に通いだす。またもや半年間ほど、働かずして給料を貰う日々。
わたしツイてる。まあまあこういうの多い。

(この頃の恋愛)
誕生日プレゼントに教習所代をおねだり。もう彼氏じゃない。完全に家族。
運転が死ぬほど向いてなくて、費用が大目にかかってしまいました。すみません。

33歳

新会社の仙台オフィス立ち上げ。主に人材派遣業でコツコツ売り上げを作る日々。
「商品が生身の人間ってえらい大変」と痛感。
ニーズはあれど(人材を)納品できず、スタッフ対応、クライアント対応、クレーム対応に追われ、精神的にも体力的にもとことん追い詰められる。
そんな日々の中、子持ちママスタッフから「リスクを取って採用(派遣紹介)してくれてありがとう!いまとっても楽しいです」という感謝の言葉をもらい、生まれて初めて仕事で嬉し泣きをする。

34歳

仙台オフィスでの派遣業にも飽きてきたので、やりたいやりたーい!と、挙手して本社で研修業務に携わる。
が、あわせて派遣業も軌道に乗せろというお達しが出て、休みなく働く日々。

派遣スタッフが現場に穴をあける→現場に急行して責任者に泣き落とし(ウソ泣き)で詫びを入れる→その足で会社に戻り研修準備して2日間徹夜→一旦、家に帰ってシャワー浴びて出社して広島出張→飛行機の中で意識をなくす(シートベルトをしたらもう広島に着いてた)→研修会場でクライアントから目一杯ダメ出しされる。

仕事以外の記憶がまったくなく、この年に流行った曲を聞くといまだに胸がギュッとなる。そのくらい働いた。

(この頃の恋愛)
「ちょっと行って来るだけだから」と騙し騙し、猫二匹を彼に押し付けて、荷物もそのままで、しばし同棲解消。

35歳

同僚Aの提案により、またまた自ら挙手して福岡へ赴任。
同僚が自殺し、辛い3カ月を乗り越えた先に待っていたのは、いま振り返っても人生でいちばん楽しかった時間。
ただし仕事は振るわず。

(この頃の恋愛)
仙台同棲彼と大泣きしながら別れ話をし、猫と荷物を持って福岡へ。
初めての一人暮らし。
福岡時代に付き合った男性は3人。全員既婚者。

36歳

「これ以上、福岡にいても売り上げ伸ばせません、ごめんなさい!」と、上司に詫びを入れて本社に帰還。

37歳

出向社員としてUQコミュニケーションズに勤務。
その後、出向元の会社が潰れることがわかり、人事に直談判&部長に直談判&まわせる手はすべてまわして正社員として潜り込む(無事採用)。

40歳

ヒマヒマ~超ヒマ~と会社のアンケートに馬鹿正直に書いていたら、忙しい部署にまわされてしまう。
忙しいのにつまらない。つまらないのに忙しい。尚且つ人間関係も最悪。部内は全員マウンティングおばけ。
気付いたら円形ハゲが2つほど。

42歳

5年務めた会社を退職。現在に至る。

退職のご挨拶【本音で書いたらこんな感じ】

最後まで読んでくださりありがとうございます。相当お暇ですね。
今後とも、当ブログをよろしくお願いします。