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同僚が亡くなったときのこと

最近、知り合いになった人に言われた。

「結構、ダークなこともブログに書いてるよね」

ええ、ホントはダークなことしか書きたくないくらい。
わざわざ文章にしてまで他人に聞いてほしい話は、重ためな出来事の中にあるから。

朝のテレビ会議で

私より3歳年上の同僚Kさん(女性、独身)が亡くなったのは、2009年6月のこと。
赴任先の仙台で。享年37歳。

あの日の一連の出来事と自分の心の動揺は、たぶん一生忘れない。今も鮮明に思い出せる。

毎週、月曜朝9時に行われていた、各地方のエリア責任者が参加する社内テレビ会議の画面に、Kさんの姿だけ映らなかった。エリアごとに6分割された画像の、彼女のところだけ真っ黒。

福岡の責任者であったわたしと、金沢の責任者であった同僚A(既婚、女性、夫を置いて金沢に単身赴任)は、電話で大笑い。

「あーあー 絶対、寝坊したでしょ!朝弱いもんね~」

2時間後の11時。同僚Aから再び電話がかかってくる。

「どうやら、連絡取れないらしいよ。寝坊じゃなくって、たぶん、逃げたね!」

まーじでー?ゲラゲラ笑う私たち。

さらに2時間後の13時過ぎ。
遅めのお昼ご飯を食べていたら、同僚Aから三度目の電話。今度はやや深刻な声で。

「ねえねえ、まだ連絡取れないらしいんだけどさ。よく考えたら、逃げるようなタイプじゃないよね・・・」

そうだね。そうだった。そんなことできる人じゃない。
超真面目で、不器用だから、私や同僚Aのように上手いこと言い逃れができなくて、いけしゃあしゃあと開き直れなくて、売り上げが出せないことに本気で悩んでいた。

ようやくここで、深刻になる私たち。

「やばい。マジでやばい。連絡が取れないのはおかしい。」

さすがにもう、笑ってはいられなくなった。

オオカミ少年扱い

何か事故に巻き込まれたか、考えたくないが自殺か。
誰か様子を見に行ったほうがいい。私たちは電話で本社にそう訴えた。

Kさんの赴任先である仙台オフィスは、もともとは私と同僚Aがふたりで立ち上げた拠点。
勝手知ったる私たちが駆け付けたいところだが、私のいる福岡も同僚Aのいる金沢も、仙台までだいぶ距離がある。到着するまでに時間がかかり過ぎる。

いますぐ東京本社から誰かを行かせて。東京から新幹線で行くのが一番早いから。
私たちは、そう訴えた。朝の大笑いとはうって変わって必死だった。
死なせてはいけない。彼女のためにも。会社のためにも。

オマエらの言うことは大袈裟だのなんだのと、最初は取り合ってもらえなかったが、すったもんだの挙句、翌朝一番に本社の総務社員(男性)が様子を見に行くことになった。

その日の夕方、同僚Aが、憤りの混じった暗い声で言う。

「明日の朝行くなんて遅いよ。たぶん、もう亡くなってるよ。事故なら、警察や病院から電話があってもいい時間じゃない?連絡が無いってことは、そういうことだよ。」

私も、その可能性はあると思いつつ、でも、私たちが大げさすぎるんじゃないか?とも思っていた。
心配してアホな想像しちゃったじゃん!と、ようやく連絡の取れたKさんに、文句を言うことになるかもしれない。

でも、結果は最悪で、やはり亡くなっていた。
(長くなるので、続きます)

ショックと心労で生理が半年止まったときのはなし

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。