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ショックと心労で生理が半年止まったときのはなし

※前回の話はこちら 同僚が亡くなったときのこと

前の週に亡くなっていた

亡くなった同僚のKさんは、前の週の金曜に代休を取っていた。

そして、その日に死んだ。自宅マンションで練炭自殺。

朝礼のあった月曜のうちに駆け付けていたとしても、遅かった。
遺書は無く、会社のPCメールはすべて消去され、携帯はロックがかかり開けなかった。

私が赴任していた福岡は、亡くなったKさんが元々責任者を務めていた、彼女のご実家がある場所だった。
ご遺族の対応、クライアント対応、スタッフ対応。

様々な立場の人の、驚きと哀しみと、ぶつけようのない怒りの感情を受け止めることはしんどく、この月からきっかり半年間、生理が止まった。

当時、私が勤めていた会社は創業したばかりで、とにかく売り上げを作るために、私も、一緒に仙台を立ち上げた同僚Aも必死で働いた。

まるまる1か月休んでいないなんてことはザラで、正月休みも返上。
帰れない日は、狭いレンタルオフィスにイスを3つ並べて寝た。
誰に言われるでもなく、命じられるでもなく、自分たちの意思でそうしていた。

同僚Aは、残業中の深夜、銭婆(千と千尋)と化し、電卓を叩いては、売り上げを眺めてニヤニヤしていた。
そんなモチベーションが、自分たち以外のみんなにもあるものだと思い込んでいた。

良かれと思って決めたことが最悪の結果に

亡くなったKさんを、私たちが立ち上げた仙台オフィスの後任にしようと、最初に提案したのは同僚Aだった。

普段は他人に冷たい同僚Aが、なぜかこのとき「彼女のことを一番に考えるべき」と主張した。

仙台に赴任すれば、札幌にいるマネージャーがKさんのフォローにまわれる。
そうすれば、Kさんひとりで目標数字を抱え、苦しむことがなくなる。

ただ、そのためには、責任者のシャッフルが必要だった。
同僚Aもわたしも、見知らぬ土地で、今度はイチからひとりで拠点の立て直しをしなければならない。

私は東京から福岡へ。同僚Aは仙台に夫を残して単身金沢へ。

迷ったけれど、全体最適を考えてベストな選択はそれしかない。そう思った。

だけど、そこに亡くなったKさんの意思はない。

私たちの考え得る【Kさんにとっての最良の選択】なのだけれど、Kさんの意思は聞いていない。聞く必要などないと思っていた。

私たちは新天地で、Kさん以上に苦労を強いられるのだから。
異動を受け入れるのは当然のことで、断るなどあり得ない。
だって私たちは全員、創業メンバーなのだし。
苦労するのは百も承知でメンバーに加わったはずだ。
エリアの責任者として、一緒に入ったほかのみんなよりも高い給料をもらっている。

直接言わなかったけれど、そんなふうに思っていた。

仙台で死に物狂いで働いて、必死に売り上げを作ってきたという自負が、私たちを傲慢にした。

良かれと思って決めたことが、最悪の結果を招いた。

厳しすぎるがゆえに人を追いつめる

久しぶりに同僚Aと飲んだときに、初めてこんな会話になった。

「私たちは、他人に厳しすぎる。人に求めすぎてしまう。」

言葉でKさんを叱責していたのは、社長やKさんの上司だったけれど、私たちの、決して言葉には出さない「やって当たり前でしょ」というプレッシャーは、Kさんを追いつめていただろう。

たまに本社会議で会ったときは、気晴らしの買い物に誘ったりしていたけれど、Kさんに必要だったのは、そんな一時しのぎの優しさではなく、救ってくれるだれかだった。逃げられる居場所だった。

弱音を吐ける場所。もう限界だと言える場所。

私たちは、無言の正論でKさんを追いつめてしまった。

パワハラだったのか

それはKさんにしかわからない。Kさんがどう感じていたか。

でも、恨み言を残してはいかなかった。
結果を出せない自分を不甲斐なく思っていたのか。真相はわからない。

あれから10年以上経った。

わたしたちの「働く環境」は、あの頃よりも遥かに厳しくなっている。求められるスキルが格段に上がっている。

ひとまわり以上、年下の子たちが、同じ職場でもがいている。
自分の能力が足りないことに愕然とし、もがいている。

気の毒に思う。たいした経験も積まずにリングに上がっていることに。
わたしはリングに上がるだけの経験を積んできた。

みんな薄々感じているはずだ。もうそんなに甘い職場なんて存在しない。
結果を出せなければ選手交代。

「いいよいいよ、無理しなくていいよ、大丈夫だよ」

そう言いながらわたしは、次の漕ぎ手を探す。
漕ぐ力のないものを仲間に入れたままでは、あっとういまに舟は沈む。
漕ぎ手の人数が少ない舟は、より早く沈む。

舟を沈ませてはならぬ。でも、漕げなくなった人を殺してもならぬ。

舟を降りる勇気

仕事仲間でテニス仲間でもあるAくんは、ディフェンス力が相当高い。

「よくそんなに自分に甘くできるね。感心する。」

わたしがそう言うと、オンライン会議の画面越しにシュンとした顔をしてみせるけど、あれは単なる顔芸だと思う。
「シュンとしておけば、さとちゃんはこれ以上は攻撃してこない」そう思っているのだろう。

彼には、ぶっ壊れた過去がある。

人間関係はすこぶる良好な職場だったのに、仕事量が膨大すぎて、追い込まれて崩壊したそうだ。

ディフェンス力が高いのは、ぶっ壊れたあとに、命からがら生還を果たしたからなのかもしれない。

もう、自分を極限まで追い込んだりしない。無駄なプライドも持たない。

「そんなに仕事を詰め込んで、テニスする時間がなくなったら、オレが幸せじゃない」

ふぁ?

と言いたくなるけれど、正しい。おもいっきり正しい。

あなたが幸せであること以上に大事なことなんて、きっとこの世に存在しない。
仕事の締め切りとか、プロジェクトの進捗とか、会社の成長とか成功とか、まじどうでもいい。

あなたが自由でありすぎるために、生真面目なわたしのような人が、胃をキリキリ痛めていたとしても。それでも正しい。

「あなたが幸せであること以上に、大事なことなんてないんだよ」

そう言ってくれる、利害関係の一切ない仲間がいたら。
そう思わせてくれる、のほほーんとした仲間がいたら。

Kさんは、死を選ぶことはせず、舟から降りることを選んだのではないだろうか。

そんなの負けじゃないから。ぜんぜん負けじゃないから。乗る舟を間違えただけだから。もしくは漕ぐ場所のポジションが違っただけだから。

一回降りてみて、自分にあうポジションを見つけるか、自分にあう舟を探せばいいんだよ。

わたしはそう思うよ。10年以上経って、やっと本気でそう思えるようになったよ。
あのとき、仕事の相談に乗ってほしいと電話をくれたとき、そう言ってあげられなくてごめんなさい。

「新しく立ち上げる研修のことで頭がいっぱいで余裕がないから、その相談、翌週にしてもらってもいい?来週には研修もぜんぶ終わってるから。」

そう言って、後回しにしてごめん。
でも、約束してた日より前に死なれてしまったら、ずっとわたしがそのことを悔やむって思わなかった?

思わなかったよね。そんな考えがよぎる余裕があれば、死んだりしなかったはず。

だからわたしは居場所を作る。だれかにとっての居場所づくりを生涯のなりわいにする。

おしまい。

さとちゃん: 1973年早生まれ。2023年8月から老老認認介護をサポートするため実家暮らし。推しはSixTONESジェシー。使命はライトワーカーとしての任務を果たすこと。